山広組の組員数

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 1984~1989年において「山口組」と「山口組脱退グループ(一和会)」の間で、抗争(通称:山一抗争)が展開されました(*1)。1981年三代目山口組組長・田岡一雄が死去しました(*2)。以降「四代目」の跡目を巡り、「竹中正久若頭を推すグループ」と「山本広組長代行を推すグループ」に山口組が二分されました(*1)。1984年6月、山本広グループが山口組を脱退、一和会(活動期間:1984~1989年)を結成しました(*3)。一和会会長には山本広が就きました(*3)。

 分裂後、山口組と一和会は互いを武力攻撃する抗争状態に入りました(*1)。抗争中の1985年1月26日大阪府吹田市内で、四代目山口組組長・竹中正久、若頭・中山勝正らが、一和会組員達に射殺される衝撃的な事件が起きました(*1)。山口組はトップとナンバー2を失ったものの、抗争を有利に展開させました(*1)。1989年3月、一和会の解散及び山本広の引退が決まり、山一抗争は終了しました(*1)。

 一和会トップの山本広(1925年生まれ)は、1947年山口組2次団体・白石組に入りました(*4)。白石組トップは白石幸吉(田岡一雄の舎弟)でした(*4)。白石幸吉は1951年「上栄運輸」という会社を興し(*5)、社長に就任しました(*6)。上栄運輸は神戸港の荷役業(二次下請け)を行う会社でした(*7)。

 上栄運輸以外にも、1951~1956年山口組関係者が続々と「二次下請けの港湾荷役会社」を設立させました(*7) (*8)。三友運輸(1951年設立。後に「三友企業」に改称)、甲陽運輸(1953年設立)、住井運輸(1954年設立)、安原運輸(1955年設立)、山一運輸(1956年設立)などは「山口組関連の港湾荷役会社」でした(*8)。背景には、1950年に開始された朝鮮戦争(1950~1953年)により、神戸港が「連合軍の兵站基地」となったことがありました(*7)。神戸港の物流増大に対応する為、港湾荷役会社が多数求められたのでした。山口組関連の港湾荷役会社は主に「船内荷役」を担っていました(*8)。船内荷役とは、「貨物船」と「艀(はしけ)」「港」間における荷の積みおろし、荷捌きのことを指しました(*8)。船内荷役における主な働き場所は、船内でした(*8)。

 二次下請けの港湾荷役会社の実態は「人足供給業(労働者派遣業)」でした(*9)。港湾荷役の業務量は時期によって変動しました(*9)。港湾荷役会社は、社員を常時雇うことはせず、日雇い労働者を活用しました(*9)。1964年度神戸港の船内荷役業における64.2%は、日雇い労働者の労働で担われていました(*9)。博徒系のヤクザ組織は人足供給業を行っていました(*10)。人足供給業を円滑に動かす上で、「労働者管理」が重要となります。ヤクザ組織は「暴力装置」を持つがゆえに、「労働者管理」には長けていました。ヤクザ組織と人足供給業は親和性が高かったのです。

 1915年(大正四年)山口春吉(初代組長)により結成された山口組は、結成時港湾荷役の組織でした(*11)。1951~1956年における山口組の港湾荷役業の進出は、時流に乗った上での「伝統回帰」だったことが分かります。

 以上の文脈において、山本広は1951年の上栄運輸設立時に「上栄運輸の監査役」に就任しました(*5)。上栄運輸において、山本広は「船内荷役の手配師」をしていました(*12)。山本広にとって、監査役は名目上の役職に過ぎなかったのでしょう。1956年内部昇格の形で、山本広は山口組直参(田岡一雄の子分)になりました(*4)。1957年山本広は山口組執行部に入りました(*4)。1959年山本広は自身の組織「山広組」を結成しました(*4)。

 山広組の最盛期の組員数は、約200人でした(*4)。三代目山口組組長・田岡一雄体制時(1946~1981年)、有力2次団体として知られた柳川組(2次団体としての活動期間:1960~1969年)は、最盛期の1967年時、約1,690人の組員を持っていました(*13)。また菅谷組(2次団体としての活動期間:1959~1977年)(*14)は、約1,500人の組員を抱えていました(*15)。同時期の山健組(1961年結成) (*16)は約300人の組員を擁していました(*15)。

 以上の2次団体に比し、山広組の組員数は少ないことが分かります。山本広が1次団体において早くから出世できたことから、山本広が何かしらの能力に長けた人物であったことが推測されます。山広組の主な資金獲得源は、金融業や債権回収でした(*4)。山本広が経済的手腕に長けていたことが考えられます。山本広は自身の組織人数を増やさずとも、資金を充分獲得できる自信を持っていたと考えられます。

<引用・参考文献>

*1 『戦後ヤクザ抗争史』(永田哲朗、2011年、文庫ぎんが堂), p207-219

*2 『山口組の100年 完全データBOOK』(2014年、メディアックス), p445

*3 『山口組の100年 完全データBOOK』, p446

*4 『裏社会 闇の首領たち』(礒野正勝、2012年、文庫ぎんが堂), p117-120

*5 『血と抗争 山口組三代目』(溝口敦、2015年、講談社+α文庫), p102

*6 『血と抗争 山口組三代目』, p360

*7 『洋泉社MOOK 「山口組血風録」写真で見る山口組・戦闘史』(有限会社創雄社・実話時代編集部編、1999年、洋泉社), p40

*8 『血と抗争 山口組三代目』, p88-89,272

*9 『血と抗争 山口組三代目』, p274-275

*10 『現代ヤクザ大事典』(実話時代編集部編、2007年、洋泉社), p58

*11 『山口組の100年 完全データBOOK』, p14-15

*12 『撃滅 山口組VS一和会』(溝口敦、2014年、講談社+α文庫), p81,108

*13 『洋泉社MOOK 「山口組血風録」写真で見る山口組・戦闘史』, p132-135

*14 『洋泉社MOOK 「山口組血風録」写真で見る山口組・戦闘史』, p85-88

*15 『大阪ヤクザ戦争 ~30年目の真実~』(木村勝美、2009年、メディアックス), p49

*16 『大阪ヤクザ戦争 ~30年目の真実~』, p198

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