1995年時「覚醒剤の製造側」は「覚醒剤の元売り側(ヤクザ組織)」に、1gあたり約1,000円の価格で覚醒剤を販売しました(*1)。その販売価格は1kgに直すと、約100万になりました。
「松田組」の3次団体「大日本正義団」(1971年結成)は覚醒剤の密輸ビジネスを手掛けていました(*2)。韓国の釜山に近い孤島の密造工場から、大日本正義団は関釜フェリーを輸送手段にして覚醒剤を密輸しました(*2)。
関釜フェリーは下関~釜山間の国際航路を持つ海運会社で、1969年設立されました(*3)。翌1970年6月、フェリー関釜が下関~釜山間に就航しました(*3)。フェリーは船体内部に一層から三層ほどの広い車両甲板、大きな傾斜路を備えており、多くの自動車を収納することができました(*4)。1983年5月、韓国側のフェリー釜関も就航しました(*5)。
密輸人は自動車とともにフェリーに乗り込み、その自動車のガソリンタンクに覚醒剤を隠しました(*2)。そのガソリンタンクは二重底にされていました(*2)。またその密造工場は大日本正義団に対し、1kgあたり350万円前後の価格で覚醒剤を販売しました(*2)。その販売価格は1gに直すと約3,500円になりました。
<引用・参考文献>
*1 『裏経済パクリの手口99』(日名子暁、1995年、かんき出版), p120-121
*2 『大阪ヤクザ戦争 ~30年目の真実~』(木村勝美、2009年、メディアックス), p70,85
*3 『長距離フェリー50年の航跡 SHKライングループの挑戦』(編著:株式会社SHKライン、2018年、ダイヤモンド・ビジネス企画),p96-100
*4 『長距離フェリー50年の航跡 SHKライングループの挑戦』,p71-72
*5 『長距離フェリー50年の航跡 SHKライングループの挑戦』,p104
コメント