横浜の寿町

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 日本にはかつて「日雇労働市場」がありました(*1)。日雇労働市場とは、「日雇労働の求人業者と求職者(日雇労働者)が集まる場」を指し、「寄場」とも呼ばれました(*1)。求人業者は「手配師」と呼ばれました(*1)。手配師の差配により日雇労働者は当日の仕事を得て、現場に送られました(*1)。

 大規模な寄場として知られたのが、東京の山谷、横浜の寿町、大阪の釜ヶ崎でした(*1)。1990年代初頭までは東京の高田馬場駅付近、名古屋駅付近、大阪の梅田駅付近も「寄場」として機能していました(*1)。

 山谷と釜ヶ崎は戦前から寄場でしたが(*2)、寿町は戦後(1945年以降)に寄場となりました(*3)。戦後の寿町には、占領軍の物資が置かれていました(*3)。1957年横浜市が寿町の土地所有権を獲得して以降、寿町に簡易宿泊所(通称:ドヤ)が作られていきました(*3)。1960年の寿町に約60の簡易宿泊所がありました(*3)。

 当初寿町は港湾関連の企業に日雇労働者を供給していました(*3)。しかし1970年代末横浜港において港湾業務の機械化が進み、日雇労働者の需要がなくなりました(*3)。以降の寿町は建設関連の企業に日雇労働者を供給していきました(*3)。

 寿町には、多くの外国人が居住していました(*3)。フィリピン人による「バターン・ギャング」という組織も活動していました(*3)。寿町を拠点にするヤクザ組織としては、稲川会の山田組がありました(*3)。1990年代以降の寿町では不況により日雇労働の求人数が減少、寄場としての機能が弱くなっていきました(*3)。

<引用・参考文献>

*1 『裏社会の日本史』(フィリップ・ポンス、安永愛 訳、2018年、ちくま学芸文庫), p178

*2 『裏社会の日本史』, p195,198

*3 『裏社会の日本史』, p201-203

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