北海道の源清田

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 北海道にテキヤ組織が初めて結成されたのは明治18年(1885年)頃でした(*1)。1885年頃に結成されたテキヤ組織は、源清田系列で、組織名を「源清田長江一家」としました(*1)。結成者は長江外衛でした(*1)。長江外衛は仙台藩の元剣道師範の経歴を持ち、明治維新後、各地を回り、居合抜きの見世物を稼ぎとしていました(*1)。

 源清田長江一家結成(1885年頃)の3年前、明治15年(1882年)頃札幌において源清田系列の高橋菊次郎が見世物小屋をひらいていまいした(*1)。長江外衛は夫婦で高橋菊次郎の元に身を寄せ、高橋菊次郎の舎弟となりました。長江外衛は「高橋菊次郎の舎弟」になったことから、源清田の一員になりました。

 源清田長江一家からは後に、「源清田新谷一家」や「源清田一家萩原」が誕生しました(*1)。源清田新谷一家の結成者は、「長江外衛の舎弟」だった新谷藤作でした(*1)。源清田一家萩原の結成者は、「源清田長江一家の二代目・長江博の子分」だった萩原敬士でした(*1)。

 太平洋戦争後(1945年以降)の北海道のテキヤ業界において、丁字家グループ、寄居グループと並び源清田グループは「三大勢力」の1つとして位置付けられました(*2)。

<引用・参考文献>

*1 『実話時代』2016年10月号, p109-111

*2 『洋泉社MOOK・勃発!関東ヤクザ戦争』(有限会社創雄社『実話時代』田中博昭編、2002年、洋泉社), p146

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