賭博の1つに「ちょぼいち」がありました (*1) 。ちょぼいちは、サイコロ1つと台紙(1~6の数字が記入された)を用いて、行われました(*1)。親と複数の子が対戦しました(*1)。子がサイコロの出目を予想し金を張った後、親がサイコロを振るという形式でした(*1)。「出目」と「張った数字」が一致していたら、賭け金の4倍が子に配当されました(*1)。逆に、一致しなかった場合、賭け金は全額没収されました(*1)。
大正時代(1912~1926年)、九州の岸岳炭坑では、ちょぼいちが流行りました(*2)。岸岳炭坑のちょぼいちでは、勝った子はテラ銭を親に支払いました(*2)。テラ銭(寺銭)とは、胴元(賭博の主催者)が客から徴収する手数料のことでした(*3)。テラ銭の割合(控除率)は一般的に「五分」(5%)といわれていました(*3)。岸岳炭坑のちょぼいちにおいてテラ銭の割合は5%でした(*2)。
<引用・参考文献>
*1 『賭けずに楽しむ日本の賭博ゲーム』(伊藤拓馬、2015年、立東舎), p18-19
*2 『興行界の顔役』(猪野健治、2004年、ちくま文庫), p390-391
*3 『現代ヤクザ大事典』(実話時代編集部編、2007年、洋泉社),p195
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