ヘロインの名称は純度により異なっていた

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 違法薬物ヘロインの名称は、純度により異なっていました。混ぜ物の多い粗悪ヘロインは「レッドロック」、高純度(水溶性が高い)ヘロインは「4号」と呼ばれました(*1)。「レッドロック」より高いが、「4号」より純度の低いヘロインは「3号」と呼ばれました(*1)。純度の高い順に並べると、4号→3号→レッドロックとなります。4号ヘロインは、3号ヘロインにエーテル、アルコール、塩酸を付加する等の工程を経て、精製されていました(*1)。4号ヘロインの製造過程では、爆発の危険が伴いました(*1)。1960年代東南アジアにおいて製造者は限られており、香港のみが4号ヘロインの製造技術を有していました(*1)。

 4号の「高純度」の基準は曖昧でした。溝口敦の取材(回答者は中国の公安職員)によれば、1988年頃の中国雲南省付近では4号ヘロインの純度は約90%でしたが、1993年頃の4号ヘロインの純度は約50%でした(*2)。一方、3号ヘロインの純度は約40%とされていました(*1)。ヘロインが違法薬物という性格上、国際的な業界団体が存在し、「4号」の品質を定義していることはありえません。「4号の純度」は時代ごとに、市場の需要や社会状況に応じ、ヘロイン供給サイドの業者間で合意形成されていったと考えられます。

 1875年「ジアセチルモルヒネ」という物質が開発されました(*3)。ジアセチルモルヒネは主に鎮咳剤として用いられてきました(*3)。ドイツ・バイエル社はジアセチルモルヒネの鎮咳剤を「ヘロイン」という商品名で売り出しました(*3)。ヘロインという名称は「商品名」に由来していたのでした(*3)。

 ちなみに商品名がそのまま違法薬物名称になった同様の例として「ヒロポン」があります。「ヒロポン」は戦後の一時期、覚醒剤を意味する言葉でした(*4)。1951年の覚醒剤取締法制定以前まで、日本では覚醒剤の使用が認められていました(*4)。1951年以前、大日本製薬は覚醒剤を「ヒロポン」という商品名で販売していました(*4)。しかし1951年の覚醒剤取締法制定により、以降日本において覚醒剤の製造、売買(譲渡、譲り受け)、所持、使用等が禁止されました(*4)。

 ヘロインの薬理作用としては中枢神経抑制があります(*5)。中枢神経抑制の違法薬物は、別名「ダウナー系」とも呼ばれます(*5)。ダウナー系の逆に位置するのが、アッパー系つまり中枢神経を興奮させる違法薬物です(*5)。アッパー系の代表例が覚醒剤やコカインです(*5)。

 ヘロインはモルヒネを原料に、モルヒネはアヘンを原料に精製されています(*1)。アヘンは、植物ケシの果実の乳液を乾燥させたものです(*1) (*6)。ケシの違法栽培地として有名だったのが「ゴールデン・トライアングル」でした(*7)。ゴールデン・トライアングルはミャンマー、ラオス、タイの三国国境地帯に位置し、1990年代において年間約2万5,000トンのアヘンを生産していたとされています(*7)。

  ゴールデン・アングルでのアヘン生産は昔から行われていましたが、生産量の増加に至ったのは第二次世界大戦後の1950年代でした(*8)。アメリカ合衆国の歴史家アルフレッド・W・マッコイ(Alfred W. McCoy)によれば、1950年代におけるゴールデン・トライアングルにおける生産量増加には2つの要因がありました(*8)。1つ目の要因は、各国政府がアヘンを違法薬物にしたことで、香港や東南アジア各都市において「違法領域でのアヘン需要」が増大したことです(*8)。例えばフランス領インドシナの植民地政府は1950年アヘン専売制を廃止しました(*8) 2つ目はタイ、アメリカ合衆国、フランス、中国国民党の各情報機関が秘密裏に「ゴールデン・トライアングル産アヘンの流通」を推し進めていったことです(*8)。

 アメリカ合衆国の情報機関CIAは中国対策の一環として、中国国境地帯における拠点づくりを試みました(*8)。ゴールデン・トライングルのミャンマーとラオスは、中国と接しています。CIAはゴールデン・トライングルの地元ボスを「影響下」に置くことにしたのです(*8)。概ね地元ボスは、地元のアヘン生産を仕切る人物でもありました(*8)。

 CIAは地元ボスを自陣に引き入れる為に、便宜を図る必要がありました。地元ボスの懐を潤すこと、アヘン生産量の増加による収益増大をCIAは図ったのです。CIAはゴールデン・トライアングルのビルマ(現在のミャンマー)産アヘンをバンコク(タイの首都)の違法薬物市場に投入することで、ビルマ産アヘンの生産量増加を図りました(*8)。ゴールデン・トライアングルのビルマ産アヘンには中国国民党の勢力も関与していました(*8)。おそらくCIAは中国国民党及びタイの情報機関に話をつけた上で、実行していったと考えられます。つまりCIAは仲介役として機能したのでしょう。

 フランスの情報機関は当時、資金不足に陥っていました(*8)。背景にはインドシナ戦争(1946~1954年)により、充分な予算が情報機関に配分されなくなっていたことがありました(*8)。情報機関はアヘン密売で資金を捻出することにしました。実際フランスの空挺部隊はラオス産アヘン(モン族ゲリラ部隊の活動地域で生産されたアヘン)を軍用飛行機でベトナム南部のサイゴン(現在のホーチミン市)に密輸していました(*8)。モン族ゲリラ部隊は「フランス軍の味方」として戦っていました(*8)。サイゴンでフランスの空挺部隊はラオス産アヘンを「ビン・スエン」(Binh Xuyen)というアウトロー組織に売りました(*8)。ビン・スエンはサイゴンで違法のアヘン窟(アヘン密売及び喫煙施設)が営業していました(*8)。

 フランスの情報機関が「モン族のアヘン生産者」と「サイゴンのアウトロー組織」を仲介した格好です。サイゴンという新たな売り先によって、ラオスにおけるモン族活動地域のアヘン生産量は増加していったと考えられます。

 ヘロインの話に戻ります。レッドロックや3号のヘロインの摂取方法は吸煙で、一方4号の摂取方法が静脈注射でした(*1)。吸煙は臭いが発生する為、外部から気づかれやすいです(*9)。一方注射は臭いが発生しない為、外部から気づかれにくいです。4号は注射摂取により発覚リスクを軽減できたのでした。

 1955年頃以降、旧日本軍が貯蓄していたアヘンの流出、朝鮮戦争(1950~1953年)帰りの外国人兵士の持ち込み等により、ヘロインが日本で流行りました(*10)。当時日本で流行ったヘロインの純度は20~30%でした(*11)。混ぜ物として、ブドウ糖や塩酸プロカイン等が用いられていました(*11)。純度20~30%のヘロインは小売市場において、1袋(0.03~0.05g)約1,000円で販売されていました(*11)。しかし取締りの強化でヘロインの流通量が減少、ヘロインの純度は10%まで落ちました(*11)。また小売側は値上げもしました。純度10%のヘロインは1袋3,000~5,000円で販売されていました(*11)。1990年代のヘロインの小売価格は1g約5万円でした(*12)。

 1993年頃の雲南省では、ゴールデン・トライアングル産4号ヘロインの価格は地域によって変動しました(*2)。ミャンマー国境付近の街・瑞麗では1g8元、芒市(瑞麗と同じ自治州に属していますが、瑞麗よりミャンマーから離れている)では1g 50元、昆明(雲南省の省都)では1g 200元ぐらいで、4号ヘロインは販売されていました(*2) (*13)。当時の雲南省では、生産地からの距離に比例し、販売価格が上昇していたことが分かります。

<引用・参考文献>

*1  『中国「黒社会」の掟-チャイナマフィア』(溝口敦、2006年、講談社+α文庫), p248-249,268,270

*2 『中国「黒社会」の掟-チャイナマフィア』, p337-338

*3 『日中アヘン戦争』(江口圭一、2018年、岩波新書), p20-21

*4 『薬物とセックス』(溝口敦、2016年、新潮新書), p85-87

*5 『薬物依存症』(松本俊彦、2018年、ちくま新書), p31-34

*6 『アヘンと香港 1845-1943』(古泉達矢、2016年、東京大学出版会)

*7 『中国「黒社会」の掟-チャイナマフィア』, p246,264

*8 『War on Drugs:Studies in the Failure of U.S Narcotics Policy』「Heroin as a Global Commodity:A History of Southeast Asia’s Opium Trade」(Alfred W. McCoy,1992, Westview Press),p255-257

*9 『中国「黒社会」の掟-チャイナマフィア』, p190

*10 『マトリ 厚労省麻薬取締官』(瀬戸晴海、2020年、新潮新書), p102-103

*11 『マトリ 厚労省麻薬取締官』, p106

*12 『中国「黒社会」の掟-チャイナマフィア』, p334

*13 『中国「黒社会」の掟-チャイナマフィア』, p335

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