中小炭鉱における親分-子分の関係

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 ヤクザ組織の源流である博徒組織とテキヤ組織は、親分-子分の関係を有していました。親分-子分の関係は垂直的でした。大正時代(1912~1926年)の中小炭鉱は、博徒組織とテキヤ組織同様に、親分-子分の関係を有していました(*1)。炭鉱のトップが「ヤマ主」でした(*1)。ヤマ主の子分として、2~3人の「頭領」がいました(*1)。頭領の子分として、10~20人の「納屋頭」がいました(*1)。納屋頭は、12~30人前後の「坑夫」を子分として持っていました(*1)。「ヤマ主」→「頭領」→「納屋頭」→「抗夫」という垂直的な序列関係が明確でした。垂直的な関係を結ぶ為に、親子盃が交わされていました(*1)。

 また炭鉱経営では「暴力的な集団」の活用により、抗夫を治める方法がとられました(*2)。炭鉱から結成されたヤクザ組織として有名なのが、太州会です(*2)。太州会初代会長・太田州春は、18歳の時福岡県田川市の炭坑の現場監督となり、1956年太州会の前身「太州商会」を結成しました(*2)。

<引用・参考文献>

*1 『興行界の顔役』(猪野健治、2004年、ちくま文庫), p388-389

*2 『洋泉社MOOK・ヤクザ・指定24組織の全貌』(有限会社創雄社・実話時代編集部編、2002年、洋泉社), p122-124

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