1980年代覚醒剤の国際的供給網

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 1970年代オーストラリアのバイカーギャングは、違法薬物ビジネスにおいて主にLSDを扱っていました(*1)。1980年代からはアメリカ合衆国系バイカーギャングのヘルズ・エンジェルスのメルボルン支部が「覚醒剤」(通称「スピード」)を販売していきました(*1)。1970年代のオーストラリア違法薬物市場では、覚醒剤は有名ではありませんでした(*1)。

 1972年、ピーター・ジョン・ヒル(Peter John Hill)という19歳の青年がヘルズ・エンジェルスのメルボン支部に入会しました(*2)。後にピーター・ジョン・ヒルはアメリカに行き、ヘルズ・エンジェルスのオークランド支部(カリフォルニア州)の構成員と交流するようになりました(*2)。当時オークランド支部の構成員は覚醒剤(アンフェタミン)を製造していました(*2)。オークランド支部構成員との交流を通じ、ピーター・ジョン・ヒルは覚醒剤の製造方法の情報を得ました(*2)。

 ピーター・ジョン・ヒルはアメリカ滞在時、オークランド支部長セルゲイ・ウォルトン(Sergei Walton)と会う為に、刑務所を訪れました(*2)。当時セルゲイ・ウォルトンは収監中でした(*2)。その面会において、セルゲイ・ウォルトンがピーター・ジョン・ヒルに覚醒剤の製造方法を教えました(*2)。刑務所内の面会では筆記用具の使用は禁止だった為、ピーター・ジョン・ヒルは刑務所を出ると即刻、聞いた内容をメモしました(*2)。その後、セルゲイ・ウォルトンは脱獄し、より詳細な「覚醒剤製造のレシピ」をピーター・ジョン・ヒルに渡したとされます(*2)。

 メルボルンに戻ったピーター・ジョン・ヒルは1980年からメルボルン支部の仲間らと覚醒剤(アンフェタミン)製造に乗り出しました(*2)。ピーター・ジョン・ヒルらはメルボルンから30マイル(1マイル=約1.6㎞)離れたグリーンスロープスというエリアにある家を借り、「製造工場」としました(*2)。製造工場では、製造時に伴う悪臭対策として、空調機や扇風機が設置されました(*2)。また製造者はガスマスクを着用しました(*2)。

 製造チームは24時間以内に覚醒剤を5ポンド(1ポンド=約453g)作れるようになりました(*2)。5ポンドをkgに直すと、約2.2kgになります。ピーター・ジョン・ヒルらは「違法薬物の卸市場」において1ポンドあたり1万豪ドルで覚醒剤を販売しました(*2)。具体的には、ヘルズ・エンジェルスのシドニー支部、アデレード支部、ブリスベン支部、ジプシー・ジョーカーズ(Gypsy Jokers)などの同盟関係にあるバイカーギャングに、ピーター・ジョン・ヒルらは覚醒剤を販売しました(*2)。後に需要が増大した為、1ポンドあたりの販売価格は1万2,000豪ドルに上昇しました(*2)。またピーター・ジョン・ヒルらは「混ぜ物」として白砂糖を用いていました(*2)。

 一方でピーター・ジョン・ヒルらは「レシピ取得」の代償として、アメリカのオークランド支部に「フェニル-2-プロパノン」(P2P)を密輸していました(*2)。P2Pは覚醒剤の原料となりました(*2)。当時アメリカではP2Pは違法的扱いでしたが、オーストラリアでは合法的扱いでした(*2)。しかし当時オーストラリアではP2Pは製造されていませんでした(*1)。よってピーター・ジョン・ヒルらはフランスの会社から合法的に輸入する形でP2Pを仕入れました(*2)。

 密輸では「ゴールデン・サークル」という会社のパイナップル缶詰(3リットル)が悪用されました(*2)。密輸の為に、パイナップル缶詰に穴を空けジュースを抜いた後に、缶詰にP2Pを注入していました(*2)。しかしピーター・ジョン・ヒルらの「P2P密輸業務」は無償でした(*2)。つまり「P2P密輸業務」はオークランド支部からピーター・ジョン・ヒルらへの「労役」だったのです。ヘルズ・エンジェルスのオークランド支部(アメリカ)とメルボルン支部により、1980年代覚醒剤の国際的供給網が形成されていたことが分かります。

 1980年代のオーストラリア違法薬物市場において覚醒剤は高い市場占拠率を持つに至りました(*1)。

 近年もオーストラリアでは、2019-2020年(1年間)に312の覚醒剤(アンフェタミン系)工場が摘発されました (*3)。同時期(2019-2020年)の覚醒剤(アンフェタミン系)押収量は5,271.6kgでした(*4)。2018-2019年の押収量は5,148.4 kgであり(*4)、覚醒剤の押収量は前年対比約102%(1.02倍)増加したことが分かります。また2010-11年の押収量は105.2 kgであり (*4)、10年前と比べると、覚醒剤の押収量は約5,000%(50倍)増加したことが分かります。ちなみに日本の覚醒剤押収量(密輸入)は【2016年】1,428.4kg、【2017年】1,073.4kg、【2018年】784.4kg、【2019年】609.5kg、【2020年】418.2kgでした(*5)。

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