太平洋戦争終了(1945年)後の大阪では「原田組」というヤクザ組織が活動していました(*1)。原田組は原田由松をトップとし、鶴橋を本拠地としていました(*1)。原田由松組長は、山口組の主要2次団体・柳川組トップの柳川次郎組長、中島会(現在の会津小鉄会)トップの図越利一会長とは兄弟分でした(*1)。兄弟分とは義兄弟(擬制的兄弟)のことです。
原田由松組長と先述2人の関係が、対等(五分の兄弟分)(*2)だったのか、対等ではなかった(五厘下がり、四分六、七三の兄弟分)(*3)のかは不明です。
ヤクザ業界において「兄弟分」とは、通常「五分の兄弟分」を指すことが多かったです(*3)。
<引用・参考文献>
*1 『やくざと日本人』(猪野健治、1999年、ちくま文庫), p299
*2 『現代ヤクザ大事典』(実話時代編集部編、2007年、洋泉社), p91
*3 『ヤクザ大全 その知られざる実態』(山平重樹、1999年、幻冬舎アウトロー文庫), p99-100
コメント