AK-47とメキシコ

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 「AK-47」と呼ばれる自動小銃は、旧ソ連軍のミハイル・ティマフィェーヴィチ・カラシニコフ(Mikhail Timofeyevich Kalashnikov)らによって1947年開発、1949年旧ソ連軍の軍用銃として採用されました(*1)。10年後の1959年、旧ソ連政府は改良版AK-47(通称「AKM」)の製造ライセンスを他の共産国に提供しました(*2)。AKMは「AK Modernized」の略で (*1)、後に非共産国にもAKM は広まりました(*2)。

 非共産国メキシコでは1960年代前半にAK-47が入ってきました(*2)。チェコ製AKMがメキシコ大統領宛てのプレゼントとして贈られたのです(*2)。

 メキシコのルイス・エチェベリーア(Luis Echeverría)大統領(在任期間:1970-1976年)(*3)は1971年「連邦銃器・火薬法」(英語名:Federal Firearms and Explosives Law)を制定、翌1972年公布しました(*2)。

 連邦銃器・火薬法では、「民間人の所有銃器」はライトハンティングライフル、散弾銃、拳銃(短銃)等に限定され、AK-47等の高性能銃器は「国家機関の武装組織のみ所有可能」となりました(*2)。

 しかし1972年以降のメキシコでは「民間人のAK-47需要」が高かった為、闇市場が形成されていきました(*2)。当時メキシコ政府内では連邦司法警察(英語名:Federal Judicial Police)がAK-47 を単独で取り扱っており、腐敗職員がAK-47を闇市場に横流していたと考えられています(*2)。

 2000年代以降、アメリカ合衆国が対メキシコの「AK-47供給源」となりました(*4)。2004年アメリカ合衆国において「連邦アサルトウェポン禁止法」(Federal Assault Weapons Ban)が失効しました(*4)。

 2004年以降アメリカ合衆国内では民間人によるAK-47購入が合法になりました(*4)。民間人の中には、銃器店で大量にAK-47を購入し、ブローカー(銃器密輸業者)に転売する者がいました(*4)。AK-47転売者は、購入時に求められる公式書類には「個人使用」と偽って、記入していました(*4)。ブローカーは銃器店販売価格の3~4倍の価格でAK-47を買い取り、メキシコに送りました(*4)。AK-47転売者は「代理購入者」(straw purchasers)としての役割を果たしていたのです(*4)。

 ちなみに1974年旧ソ連でAK-47はさらに改良されました(*2)。1974年改良版は「AK-74」と呼ばれました(*2)。以降旧ソ連内では旧態のAK-47は製造されなくなり、1978年までに「AK-74」に置き換えられていきました(*2)。一方、他国では以降も旧態のAK-47が製造され続けていきました(*2)。

 モスバーグ・ショットガン(Mossberg Shotgun:モスバーグ社の散弾銃)も、AK-47同様メキシコに密輸されました(*5)。早ければ2009年にはモスバーグ・ショットガンはメキシコに届いていたといわれています(*5)。モスバーグ・ショットガンは、アメリカ合衆国の軍用及び民間用で用いられてきました (*5)。

<引用・参考文献>

*1 『Mexican Cartels: An Encyclopedia of Mexico’s Crime and Drug Wars』(David F. Marley,2019,Abc-Clio Inc), p6

*2 『Mexican Cartels: An Encyclopedia of Mexico’s Crime and Drug Wars』, p7

*3 『物語 メキシコの歴史』(大垣貴志郎、2017年、中公新書), p241

*4 『Mexican Cartels: An Encyclopedia of Mexico’s Crime and Drug Wars』, p8-9

*5 『Mexican Cartels: An Encyclopedia of Mexico’s Crime and Drug Wars』, p234

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