日本において「外国人移民グループ」と「日本のアウトロー組織」の間で勃発した抗争事件としては1999年の「保見団地抗争」が知られています(*1)。
抗争の舞台となった保見団地は愛知県豊田市にあります。1969年当時の住宅公団と愛知県が共同し、保見団地を開発しました(*2)。保見団地の入居は1975年から始まりました(*2)。
1980年代後半からは日系ブラジル人が保見団地に住み始めました(*2)。1990年入管法改正により、日系人3世までに対し日本での定住者資格が与えられたことで、以降日系ブラジル人の日本移住が増加しました(*3)。当時日本の産業界では特に自動車産業と精密機械産業において企業が労働者不足から、日系ブラジル人を積極的に雇用しました(*3)。
トヨタ自動車のお膝元・豊田市の保見団地では1990年以降日系ブラジル人の入居者が増加しました(*2)。
1999年保見団地抗争は、保見団地に住むブラジル人のグループと、右翼団体及び暴走族の間で起きました(*1)。きっかけはブラジル人若者グループと日本人若者グループとの間で起きた突発的な喧嘩でした(*1)。
争いは激化しました。日本人側からは右翼団体が登場、保見団地を街宣車で走り回り大型スピーカーから差別発言を繰り返し、ブラジル人グループを威圧していきました(*1)。一方ブラジル人グループは愛知県内のブラジル人を集め、またチェーンやバットなどで武装化し、対抗していきました(*1)。両者の争いは2000年も続き、2001年以降に落ち着いた模様です(*1)。
<引用・参考文献>
*1 『団地と移民 課題最先端「空間」の闘い』(安田浩一、2022年、角川新書), p230-232
*2 『団地と移民 課題最先端「空間」の闘い』, p223
*3 『団地と移民 課題最先端「空間」の闘い』, p219-222
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