メキシコ麻薬カルテル業界では、アメリカ合衆国との国境地域を「支配」するカルテルは、自身の縄張り(プラサ:plaza)を通る違法薬物の密輸人に対し、通行手数料を徴収していました(*1)。密輸側としては、通行手数料の支払いを拒めば、プラサの支配カルテルからの襲撃及び「貨物」の没収リスクが懸念されます。
当然密輸側は警察組織に頼ることはできず、残りの選択肢は自衛しかありません。結局密輸側は「通行手数料」<「自衛費用」と判断した際、通行手数料を支払っていったと推測されます。
プラサは恣意的に「拡張」される傾向にありました。ティファナ・カルテル(Tijuana Cartel)は元々ティファナ(バハ・カリフォルニア州)を主なプラサとしていましたが、1990年代以降ティファナから東へ約160km離れたメヒカリ(バハ・カリフォルニア州)も「プラサ」としました(*2)。ティファナ・カルテルは版図を拡大していったことが分かります。以後ティファナ・カルテルはメヒカリを通行する密輸人からも通行手数料を徴収しました(*2)。
図 ティファナの地図(出典:Googleマップ)
ティファナ・カルテルは1990年代以降「アレリャーノ・カルテル」(Arellano Cartel)とも呼ばれました(*2)。1980年代のティファナではハビエル・キャロ・パヤン(Javier Caro Payán)が麻薬組織を率いていましたが、後に配下のアレリャーノ兄弟(シナロア州出身)がトップの地位を簒奪しました(*2)。よって1980年代のティファナ・カルテルは「ハビエル・キャロ・パヤン率いる麻薬組織」だったといえます。ハビエル・キャロ・パヤンは追い出された後、グアダラハラ(ハリスコ州)で暗殺されました(*2)。ちなみにハビエル・キャロ・パヤンは、グアダラハラ・カルテル(Guadalajara Cartel)の最高幹部ラファエル・キャロ・キンテーロ(Rafael Caro Quintero)の従兄弟でした(*2)。
ティファナ・カルテルはコロンビアの組織からコカインを仕入れていましたが、2000年までにティファナ・カルテル(供給先)とコロンビア側(供給元)との関係は悪くなっていました(*2)。背景には、ティファナ・カルテルがコロンビア側に仕入代金を円滑に支払っていなかったことがありました (*2)。ティファナ・カルテルの支払いの悪さに対し、コロンビア側は他組織にコカインを供給していきました(*2)。
メキシコ麻薬カルテル業界において通行手数料は「デレッチョ・デ・ピソ」(derecho de piso)と呼ばれました(*1)。
中世日本の瀬戸内海でも、同様の事がありました。中世において瀬戸内海は、海上交通の大動脈でした(*3)。瀬戸内海の海上武装組織(海賊衆、警固衆)は、瀬戸内海を通航する商船から、通行手数料を徴収していました(*3)。通行手数料は「警固料(けごりょう)」「駄別料(だべつりょう)」と呼ばれていました(*3)。
有名な海上武装組織として村上三家(因島、能島、来島)がありました(*3)。しかし1588年(天正十六年)豊臣秀吉の発した「海賊停止令」により、海賊行為(商船からの通行手数料徴収等)は禁止されました(*4)。
<引用・参考文献>
*1 『Mexican Cartels: An Encyclopedia of Mexico’s Crime and Drug Wars』(David F. Marley,2019,Abc-Clio Inc), p91-92
*2 『Mexican Cartels: An Encyclopedia of Mexico’s Crime and Drug Wars』, p256-257
*3 『列島の戦国史6 毛利領国の拡大と尼子・大友氏』(池亨、2020年、吉川弘文館), p55
*4 『分裂から天下統一へ シリーズ 日本中世史④』(村井章介、2016 年、岩波新書), p126-128
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