レーシングギャング

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 かつてのイギリスでは「レーシングギャング」(racing gangs)という種類のアウトロー組織が活動していました(*1)。レーシングとは「競馬」のことで、つまりレースギャングは日本語では「競馬ギャング」となります。イギリスにおいても競馬は、賭博の1つでした(*1)。

 イギリスには昔から賭博業者(ブックメーカー)がありましたが、1961年以前は非合法の存在でした(*2)。賭博業者はまた「ブッキーズ」(Bookies)とも呼ばれました(*1)。

 賭博業者は主に「競馬の私設胴元ビジネス」をしており(*1)、日本での「ノミ屋」(*3)に該当すると考えられます。ノミ屋は公営ギャンブルを対象とする私設胴元ビジネスを提供していますが、現在も非合法の存在です(*3)。

 イギリスにおける初期の競馬では規制がなく、競馬場への入場も無料でした(*1)。ゆえに誰でも賭博業(私設胴元ビジネス)を始めることができました(*1)。初期賭博業の出店形態は、主に仮設店舗(stand)でした(*1)。賭博業者は主に馬券販売で収益を上げていたようで、仮設店舗では馬券が販売されていました(*1)。おそらく競馬場付近に仮設馬券売り場(pitches)が並んでいたと考えられます。

 レーシングギャングの組織は仮設馬券売り場からミカジメ料(1店舗につき数ポンド)を徴収し、また店舗運営にも関与していました(*1)。レーシングギャングが関与した馬券売り場の中には、レース開始前に仮設店舗を畳み、賭け金を持ち逃げする悪質な売場もありました(*1)。

 イギリスでレーシングギャングが現れ出したのは、20世紀初頭のニューキャッスルやバーミンガムなどでした(*1)。当時バーミンガム勢の有名なリーダーとしては、1882年生まれのビリー・キンバー(Billy Kimber)がいました(*1)。ビリー・キンバーはジョージ・“ブラミー”・セージ(George ‘Brummy’ Sage)と組んでバーミンガムのアウトロー組織を率いていました(*1)。

 またビリー・キンバーはアンドリュー・トウィー(Andrew Towey)とも組み、「競走馬の形態を確認できる点線カード」の製造、販売を手掛けました(*4)。該当カードの販売先は、賭博業者や競馬ファン達でした(*4)。賭博業者の場合、該当カードを1回5シリングで購入することを余儀なくされていました(*4)。

 ビリー・キンバーは自身のバーミンガム・コネクションを利用し、イギリス中の競馬場における仮設馬券売り場の「割り当て」を組織化しました(*4)。競馬の仮設馬券売り場において「出店場所」は売上を左右しました(*1)。日本の祭りや縁日における露店も同様に、出店場所が売上を左右しました(*5)。日本の祭りや縁日では地元テキヤ組織の親分(庭主)が出店場所を割り当てていました(*5)。

 上記の競馬場付近の仮設馬券売り場エリア、祭りや縁日の露店エリアでは、アウトロー組織(レーシングギャング、テキヤ組織)により秩序が形成されていたことが分かります。通常は国家権力が「無秩序の領域」に秩序を与えていきます。しかし時にはアウトロー組織が「暴力」を力の源泉にし、秩序形成の役割を果たしていたのです。

 またビリー・キンバーは賭博業者に加えて、競馬関連の詐欺グループからもミカジメ料を徴収していました(*4)。つまり詐欺グループはビリー・キンバーに金を支払わなければ、稼業を行えなかったのです。

<引用・参考文献>

*1 『Gangs Of London』(Brian McDonald, 2010, Milo Books), p115-118

*2 『ギャンブリング害-貪欲な業界と政治の欺瞞-』(レベッカ・キャシディ著、甲斐理恵子訳、2021年、ビジネス教育出版社), p117

*3 『現代ヤクザ大事典』(実話時代編集部編、2007年、洋泉社), p192

*4 『Gangs Of London』, p120-121

*5 『ヤクザ大全 その知られざる実態』(山平重樹、1999年、幻冬舎アウトロー文庫), p55-57

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