オーストラリアの密売酒ビジネス

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 1920年代シドニー(オーストラリア南東部の都市)の裏社会ではコカイン、密売酒(sly grog)、売春、ノミ屋の違法ビジネスが流行っていました(*1)。密売酒ビジネスが流行った一因としては、当時の世界的な禁酒運動がありました(*2)。

 アメリカ合衆国は1920年から1933年まで禁酒法を施行していました(*3)。禁酒法下のアメリカ合衆国ではもぐりの酒場が違法営業していました(*3)。もぐりの酒場は「スピーキージー」(speakeasy)と呼ばれていました(*3)。

 オーストラリアでも、アメリカ合衆国並みの禁酒法は実施されませんでしたが、飲酒制限が実施されました(*1)。具体的にはオーストリア連邦政府は公共ホテル(当時オーストリアにおける主要酒屋)に対し、午後6時終業を課しました(*2)。つまり午後6時以降の公共ホテルでは酒販売が禁止されたのです。第2次世界大戦中も公共ホテルの午後6時終業は課せられていました(*4)。

 裏社会(違法領域)は「表社会の制約」をビジネスチャンスとします。オーストラリアの密売酒事業者は住宅地に「店舗」(sly grog shops)を密かに設け、通常午後6時から12時までビールや蒸留酒を密売していました(*2)。また第2次世界大戦中、オーストラリアに駐留していた連合軍兵士は夜に飲酒する為、密売酒事業者にとって「主要顧客」となりました(*4)。

 しかし戦後の1950年代に公共ホテルの営業時間が延長されていくと、密売酒ビジネスの勢いは次第に衰えていきました(*5)。

<引用・参考文献>

*1 『ORGANIZED CRIME:A Global Perspective』「Organized Crime in Australia: An Urban History」(Alfred W. McCoy,1986, ROWMAN & LITTLEFIELD PUBLISHERS), p247

*2 『ORGANIZED CRIME:A Global Perspective』「Organized Crime in Australia: An Urban History」, p248

*3 『はじめてのアメリカ音楽史』(ジェームス・M・バーダマン・里中哲彦、2018年、ちくま新書),p154

*4 『ORGANIZED CRIME:A Global Perspective』「Organized Crime in Australia: An Urban History」, p253-254

*5 『ORGANIZED CRIME:A Global Perspective』「Organized Crime in Australia: An Urban History」, p256

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