オランダと賭博

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 オランダでは1885年公営宝くじ法(State Lottery Act)が制定されました(*1)。公営宝くじ法は、オランダ初の賭博規制法でした(*1)。また1905年には宝くじ法(Lottery Act)が制定されました(*1)。第二次世界大戦終了までのオランダでは、賭博の中で公営宝くじだけが「合法」で、その他は「違法」扱いとなっていました(*1)。

 戦後のオランダでは競馬、サッカー賭博が合法化されました(*1)。またオランダの各種賭博を規制する為、1964年賭博法(Gaming Act)が作られました(*1)。1965~1975年の間オランダでは公営宝くじ、スポーツ賭博、競馬が急成長を遂げました(*2)。

 オランダでは1950年代以前からスロットマシン(コイン式の賭博機)が流行っていました(*3)。オランダの会社がアメリカ合衆国から中古のジュークボックス、ピンボールに加えてスロットマシンを輸入していました(*3)。オランダにおいてスロットマシンは長らく「現金支払い」が禁止されていましたが、1986年現金支払いが合法化されました(*3)。

 オランダではアウトロー組織運営の違法賭博場も盛んでした(*4)。ロッテルダム(南ホラント州)において警察組織は1967~1982年の間に100以上の違法賭博場を捜索しました(*4)。ロッテルダムにおいて違法の賭場が一定数開帳されていたことが窺えます。またロッテルダムでは違法宝くじ組織が1981年まで活動していました(*4)。

 アムステルダムにおいても「クラブ26」(Club 26)、「クラブ・カバラ」(Club Cabala)という違法賭博場が営業していました(*4)。クラブ26は1983年に焼失しました(*4)。両クラブともにアメリカ・マフィアが関与していたといわれています(*4)。

 一方「合法のカジノ」もオランダにはありました(*3)。1976年ザントフォールト(北ホラント州)にてオランダ初の合法カジノが開業しました(*3)。また翌1977年にはファルケンブルグ(リンブルフ州)、1979年にはスヘフェニンゲン(南ホラント州)にカジノが開業しました(*3)。カジノ業界は政界と関係を構築しており、また観光業からの支援も受けていました(*3)

<引用・参考文献>

*1 『Gambling Cultures  Studies in history and interpretation』「A SIGN OF THE TIMES:The political culture of gaming in the Netherlands」(Sytze kingma,2014,Routledge), p202-203

*2 『Gambling Cultures  Studies in history and interpretation』「A SIGN OF THE TIMES:The political culture of gaming in the Netherlands」, p204

*3 『Gambling Cultures  Studies in history and interpretation』「A SIGN OF THE TIMES:The political culture of gaming in the Netherlands」, p208

*4 『Gambling Cultures  Studies in history and interpretation』「A SIGN OF THE TIMES:The political culture of gaming in the Netherlands」, p209-210,220

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