近年のセタス系組織

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 メキシコ麻薬カルテルの1つであるセタス(Zetas)は1990年代後半ガルフ・カルテル(Gulf Cartel)内の「戦闘部隊」として結成されました(*1)。初期セタスは、特殊訓練経験のある元軍人達から構成されていました(*1)。セタスの初代リーダーにはアルトゥーロ・グスマン・デセーナ(Arturo Guzmán Decenas)が就きました (*1)。アルトゥーロ・グスマン・デセーナはメキシコの空軍特殊部隊の出身でした(*2)。

 セタスの構成員には「Z」の後に数字が付くコードネーム(暗号名)が与えられました(*2)。アルトゥーロ・グスマン・デセーナのコードネームは「Z-1」でした(*2)。Z-1からZ-14の14人は「セタス第1世代」(First-Generation Zetas)と称されました(*3)。セタスのコードネームは、死亡や逮捕によって、他者に引き継がれることもありました(*3)。

 「Z-2」のアレハンドロ・ルシオ・モラレス・ベタンコート(Alejandro Lucio Morales Betancourt)は2001年11月に逮捕された為、以降セタスではゴンサレス・ピサーニャ(González Pizaña)が「Z-2」のコードネームを引き継ぎました(*3)。

 セタスの初陣とされているのは、2002年3月のヌエボ・ラレド(タマウリパス州)侵攻でした(*4)。ヌエボ・ラレドはアメリカ合衆国=メキシコの国境に接する街で、国境を越えた先にはアメリカ合衆国のラレド(テキサス州)がありました。2002年3月までは地元組織の「ロス・チャチョス」(Los Chachos)がヌエボ・ラレドを支配していました(*4)。ロス・チャチョスは「フアレス・カルテル」(Juárez Cartel)と「ミレニオ・カルテル」(Milenio  Cartel)の「代理人」としても活動していました(*4)。裏返せば、フアレス・カルテルとミレニオ・カルテルが、ロス・チャチョスを介在させる形で、ヌエボ・ラレドを「共同支配」していたのです。

 ロス・チャチョスは約300人の勢力であったのに対し、侵攻側のセタスは50~60人の戦闘員しか持ちませんでした(*4)。しかし結果はセタスの勝利に終わり、同年(2002年)5月以降、ガルフ・カルテルがヌエボ・ラレドの縄張りを支配していきました(*4)。逆にフアレス・カルテルとミレニオ・カルテルは、2002年5月から「ヌエボ・ラレドの支配権」を失いました。

 2002年11月マタモロス(タマウリパス州)でセタス初代リーダーのアルトゥーロ・グスマン・デセーナはメキシコ軍等に殺害されました(*4)。アルトゥーロ・グスマン・デセーナの亡き後、エリベルト・ラスカノ(Heriberto Lazcano)がセタスのトップに就きました(*1)。エリベルト・ラスカノのコードネームは「Z-3」でした(*3)。エリベルト・ラスカノの時代にセタスは組織を拡張させていきました(*1)。

 2000年代半ばに、セタスはガルフ・カルテルから独立を果たしました(*1)。

 2012年10月エリベルト・ラスカノがメキシコ海軍に殺害されました(*5)。その後ミゲル・アンヘル・トレビーニョ(Miguel Ángel Treviño)がセタスのトップに就きました(*5)。ミゲル・アンヘル・トレビーニョのコードネームは「Z-40」でした(*5)。

 しかし1年も経たない2013年6月15日の夜明け、ヌエボ・ラレドから南西に13マイル離れたところで、メキシコ海軍はセタス首領のミゲル・アンヘル・トレビーニョを逮捕しました(*5)。

 ミゲル・アンヘル・トレビーニョの逮捕後、その兄弟であるオマール・トレビーニョ(Omar Treviño)がセタスのトップを引き継ぎました(*5)。オマール・トレビーニョのコードネームは「Z-42」でした(*5)。

 しかしオマール・トレビーニョも2015年3月にヌエボ・レオン州のサン・ペドロ・ガルサ・ガルシア(州都モンテレイの郊外)で逮捕されました(*5)。

 オマール・トレビーニョの逮捕後、ヌエボ・ラレドのセタス一派は、オマール・トレビーニョの甥であるフアン・フランシスコ・“エル・キコ”・トレビーニョ・チャベス(Juan Francisco “El Kiko” Treviño Chávez)のトップ就任を受け入れました (*5)。セタスがガルフ・カルテルから独立して以降、ヌエボ・ラレドの支配権が「ガルフ・カルテル」から「セタス」に移ったことが考えられます。

 一方、ヌエボ・ラレド以外の縄張りのセタス系ボスらは、“エル・キコ”のトップ就任に反対しました(*5)。ヌエボ・ラレド以外の縄張りのセタス系ボスらは、トレビーニョ兄弟の時代(2012年以降)から、組織の衰退を背景に、不満を募らせていました(*5)。

 結果、5もしくは6つのグループがセタスから脱退、セタスは分裂状態に陥りました(*5)。

 旧セタスの中で最大勢力となったのが“エル・キコ”のグループでした(*5)。“エル・キコ”のグループは「ノースイースタン・カルテル」(Northeastern Cartel)と名乗り、ヌエボ・ラレドの縄張りを保持しました(*5)。加えて“エル・キコ”のグループ(ノースイースタン・カルテル)は、ヌエボ・レオン州(メキシコ北東部)、コアウイラ州(メキシコ北部)、ナヤリット州(メキシコ西部)、サカテカス州(メキシコ中央部)、ベラクルス州(メキシコ東部)、サン・ルイス・ポトシ州(メキシコ中央部)においては他団体と競合しました(*5)。

 旧セタスにおける別の一派は「オールドスクール・セタス」(Old School Zetas)を結成しました(*5)。オールドスクール・セタスはタマウリパス州南部を支配しました(*5)。

 ノースイースタン・カルテル、オールドスクール・セタス以外の旧セタス勢力は分散しました(*5)。各々の組織(ノースイースタン・カルテル、オールドスクール・セタスを除く)は小さいながらも、独立を図っていきました(*5)。

 2016年ノースイースタン・カルテル首領の“エル・キコ”(フアン・フランシスコ・トレビーニョ・チャベス)が逮捕されました(*6)。首領の座を継いだのは “エル・キコ”の親戚であるフアン・ジェラルド・トレビーニョ・チャベス(Juan Gerardo Treviño Chávez)でした (*6)。フアン・ジェラルド・トレビーニョ・チャベスの通称は“エル・フエボ”(“El Huevo”)でした(*6)。2022年3月メキシコ軍はノースイースタン・カルテルのトップである“エル・フエボ”を逮捕しました(*6)。“エル・フエボ”の逮捕以降も、ノースイースタン・カルテルはヌエボ・ラレドの縄張りを保持していきました(*6)。

 2020年時点で旧セタス勢力は、主にアメリカ合衆国のイーグルパス(テキサス州)、ラレド(テキサス州)に向けて違法薬物を輸送していました(*7)。イーグルパス(テキサス州)はアメリカ合衆国=メキシコ国境に接しています。イーグルパスから国境を越えた先のメキシコには、ピエドラス・ネグラス(コアウイラ州)があります。イーグルパスとピエドラス・ネグラスの間にはリオ・グランデ川が流れています。コアウイラ州はタマウリパス州により西に位置しています。

 先述したように、ラレド(テキサス州)もアメリカ合衆国=メキシコ国境に接し、ラレドから国境を越えた先のメキシコにはヌエボ・ラレド(タマウリパス州)が位置しています。ラレドとヌエボ・ラレドは「双子都市」になります。ラレドとヌエボ・ラレドの間にも、リオ・グランデ川が流れています。

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