テキサス州のタンゴ系組織

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 アメリカ合衆国南部のテキサス州では、主要アウトロー組織の1つとして、タンゴ系(Tangos)組織が活動してきました(*1)。タンゴ系組織とは、「タンゴ・ブラスト」(Tango Blast)と「タンゴ・クリークス」(Tango Cliques)で構成されていました(*1)。

 タンゴ・ブラストはテキサス州の刑務所において「テキサス・メキシカン・マフィア」(Texas Mexican Mafia)と「テキサス・シンジケート」(Texas Syndicate)という刑務所ギャングに対する自衛組織として結成されました(*2)。

 タンゴ・ブラストは4団体によって構成されていました(*3)。テキサス州4都市ごとの服役囚勢力が自身の組織を作った結果、計4団体が結成されました(*3)。4都市とはヒューストン、ダラス、フォートワース、オースティンを指しました(*3)。

 タンゴ・ブラストは「フォー・ホースメン」(Four Horsemen)とも呼ばれていました(*3)。フォー・ホースメンは「4人の騎手」という意味です 。

 またテキサス州刑事司法局はフォー・ホースメンを「プーロ・タンゴ・ブラスト」(Puro Tango Blast)と名付けていました(*3)。Puro(スペイン語)は日本語で「純粋な」を意味します。つまり「フォー・ホースメン」及び「プーロ・タンゴ・ブラスト」は、タンゴ・ブラストの別名です。

 他方、昔からタンゴ系組織の全てを「タンゴ・ブラスト」と称すこともありました(*3)。『Texas Gang Threat Assessment 2012』ではテキサス州公安局(Texas Department of Public Safety)は全てのタンゴ系組織に対し「タンゴ・ブラスト」と称していました(*4)。ゆえにテキサス州刑事司法局は「タンゴ・ブラスト4団体」と「他のタンゴ系組織」を厳密に区別する為に「プーロ・タンゴ・ブラスト」を用いたと考えられます。

 2014年時点においてもタンゴ・ブラストとはヒューストン、ダラス、フォートワース、オースティンのタンゴ系組織(計4団体)を指しました(*5)。ヒューストンのタンゴ系組織は「タンゴ・ブラスト・ヒューストン」(Tango Blast Houstone)、ダラスのタンゴ系組織は「タンゴ・ブラスト・Dタウン」(Tango Blast D-Town)、フォートワースのタンゴ系組織は「タンゴ・ブラスト・フォーリトス」(Tango Blast Foritos)、オースティンのタンゴ系組織は「タンゴ・ブラスト・オースティン」(Tango Blast Austin)と呼ばれていました(*5)。

 一方、2014年時点でタンゴ・ブラスト以外のタンゴ系組織は「タンゴ・クリークス」と呼ばれました(*5)。クリーク(Clique)とは英語で、日本語に訳すと「徒党」「派閥」になります。タンゴ・ブラストの結成以降テキサス州において、多くのタンゴ系組織が生まれていきました(*3)。新規タンゴ系組織は「タンゴ・クリークス」というカテゴリーにまとめられていったのです。

 さらにタンゴ・ブラストとタンゴ・クリークスは、共通の文化を有していることもあり、「タンゴ系組織」という大カテゴリーにまとめられていきました(*3)。

 つまりタンゴ系組織が「大カテゴリー」で、タンゴ・ブラストとタンゴ・クリークスが「小カテゴリー」になります。大カテゴリーのタンゴ系組織は、2つの小カテゴリー(タンゴ・ブラストとタンゴ・クリークス)によって構成されています。

 タンゴ・ブラスト(4団体)は新規タンゴ系組織(タンゴ・クリークス)を傘下に置きませんでした(*3)。ただしタンゴ・クリークスの中でも「タンゴ・クリーク・オレホネス」(Tango Clique Orejones)、「タンゴ・クリーク・バリュコス」(Tango Clique Vallucos)等は刑務所内において、時折タンゴ・ブラストと手を組みました(*3)。タンゴ・クリーク・オレホネスはサンアントニオのタンゴ系組織、タンゴ・クリーク・バリュコスはリオ・グランデ・バレーのタンゴ系組織でした(*5)。以上から「タンゴ・ブラスト(4団体)」と「タンゴ・クリークスの個別組織」の間に「支配-被支配関係」は基本的になかったと考えられます。

 タンゴ系の各組織は自律的に活動してきたと考えられています(*1)。ゆえにタンゴ系組織全体を司る「最高意思決定機関」はなく、タンゴ系の各組織構成員に指示が行き届く「指揮命令系統」もなかったと考えられます。

 タンゴ系組織は「刑務所外」でも勢力を拡張させていきました(*6)。2017年時点でタンゴ系組織はテキサス州において、ほとんどの大都市で活動していました(*2)。

 2017年時点でタンゴ系組織の構成員数は、19,000人以上と見積もられていました(*7)。テキサス州における他の主要アウトロー組織では、2017年時点でテキサス・メキシカン・マフィアの構成員数が4,100人以上、「ラテン・キングス」(Latin Kings)の構成員数が1,300人以上、「マラ・サルバトルチャ」(Mara Salvatrucha)の構成員数が500人以上と見積もられていました(*7)。

 2015年時点ではタンゴ・ブラスト・ヒューストンの構成員数だけで、「バリオ・アステカ」(Barrio Azteca)、ラテン・キングスの構成員数を上回っていました(*1)。

 タンゴ系組織全体の構成員数が増加した要因としては、各組織(個別組織)の自律性が担保されていたこと、タンゴ系組織間の関係が曖昧だったことが挙げられてきました(*1)。「タンゴ系組織間関係の曖昧さ」を示す例としては、先述した「タンゴ・ブラスト(4団体)」と「タンゴ・クリークスの個別組織」の関係があると考えられます。

 結果、各組織(個別組織)は柔軟に組織を運営できたと考えられ、構成員の数も増やすことができたのかもしれません。

 構成員数においてタンゴ系組織は他の主要組織を上回っていたようですが、先述したように、タンゴ系組織全体において最高意思決定機関や指揮命令系統を持っていなかったと考えられます。一方、テキサス・メキシカン・マフィアでは、組織内に「縦型の階層」が構築されており、明確な指揮命令系統もありました(*8)。2017年時タンゴ系組織は19,000人以上の全構成員の統率をとることができなかったと考えられ、一方2017年時テキサス・メキシカン・マフィアは理屈上4,100人以上の全構成員の統率をとることができたと考えられます。別の言い方をすれば、タンゴ系組織の全構成員は「同じ行動」をとることが難しく、一方テキサス・メキシカン・マフィアの全構成員は「同じ行動」をとることができたと考えられます。

 テキサス・メキシカン・マフィアはテキサス・シンジケートに対する自衛組織として1984年、テキサス州の刑務所内で結成されました(*9)。

 タンゴ系組織はメキシコ麻薬カルテルと手を結んでいました(*2)。ちなみにメキシコ国境に接するラレド(テキサス州)は州間高速道路35号線が通っています。またラレドは35号線における南の終点です。テキサス州では他にサンアントニオ、オースティン等の都市に35号線が通っています。先述したようにタンゴ系組織は、サンアントニオでは「タンゴ・クリーク・オレホネス」、オースティンでは「タンゴ・ブラスト・オースティン」、が活動していました。

 またエル・パソ(テキサス州)もメキシコ国境に接する都市で、州間高速道路10号線が通っています。テキサス州では他にヒューストン、サンアントニオ等の都市に10号線が通っています。タンゴ系組織は、ヒューストンでは「タンゴ・ブラスト・ヒューストン」が活動していました。

 日本において、タンゴ系組織のような例としては、怒羅権(ドラゴン)があります。怒羅権は1980年代後半、東京都江戸川区葛西で、10代の中国残留孤児達によって結成されました(*10) (*11) (*12)。結成メンバーを中国残留孤児2世・3世とする説(*10)と、中国残留孤児2世のみとする説があります(*12)。

 当初、怒羅権は日本人不良グループに対抗する自衛組織でしたが(*11)、後に暴走族になりました(*13)。怒羅権創設メンバーの1人である佐々木秀夫(ジャン・ロンシン)も、怒羅権は暴走族としては結成されておらず、結成から数年後に暴走行為をし始めたと述べています(*12)。

 佐々木秀夫は「暴走族・怒羅権」の初代、また三代目総長を務めました(*14)。暴走族・怒羅権のトップ職は「総長」だったのです。暴走族・怒羅権は、日本の暴走族同様、各地に支部を設けました(*15)。怒羅権初期メンバーの汪楠(ワンナン)によれば、暴走族・怒羅権の総本部は葛西で、支部には府中怒羅権や八王子怒羅権などがありました(*16)。一方で暴走族・怒羅権は、しばらく「特攻隊長」「親衛隊長」という役職を置かず、18歳の引退式も設けませんでした(*12)。日本の暴走族には18歳のメンバーは引退するという慣習がありました(*17)。

 暴走族・怒羅権には「18歳の引退」があったという説もあります。汪楠は、暴走族・怒羅権も日本の暴走族に倣いメンバーを18歳で引退させたと述べています(*17)。しかし引退メンバーは「怒羅権」としての活動を続けていったと汪楠は述べています (*17)。

 暴走族・怒羅権の拡張期には日本人も構成員として加入しました(*18)。

 後に「暴走族・怒羅権出身の者達」と「中国人犯罪グループ」が組む形で「マフィア・怒羅権」が形成されました(*18)。マフィア・怒羅権には大きな派閥が4つありました(*18)。暴走族・怒羅権初代(及び三代目)総長の佐々木秀夫は福建省グループのボスらを舎弟とし、4つの派閥の1つを率いていました(*18)。つまり佐々木秀夫は「暴走族・怒羅権」を経た後、「マフィア・怒羅権」の中で活動していたのです。佐々木秀夫自身は著書で「暴走族・怒羅権」と「マフィア・怒羅権」は別々の組織であることを主張しています(*15)。

 マフィア・怒羅権の派閥は、個別に活動していました(*18)。つまりマフィア・怒羅権には各派閥を「統治する機関」が存在していなかったのです。また暴走族・怒羅権や佐々木秀夫ら初期メンバーに許可をとらずに、「怒羅権」を名乗るアウトローグループも増えていきました(*18)。

 暴走族・怒羅権や佐々木秀夫ら初期メンバーが怒羅権系組織を全て支配していた訳ではなかったのです。

<引用・参考文献>

*1 『Texas Gang Threat Assessment 2015』「The Evolving Tango Culture」(Texas Department of Public Safety,2015年8月),p35

https://www.dps.texas.gov/sites/default/files/documents/director_staff/media_and_communications/2015/txgangthreatassessment.pdf

*2 『Texas Gang Threat Assessment 2017』(Texas Department of Public Safety,2017年7月), p39

https://www.ogia.us/sites/ogia/uploads/TxGangThreatAssessment201707.pdf

*3 『Texas Gang Threat Assessment 2014』「Differentiating Between Tango Blast and Tango Cliques」(Texas Department of Public Safety,2014年4月),p24

https://www.dps.texas.gov/sites/default/files/documents/director_staff/media_and_communications/2014/txgangthreatassessment.pdf

*4 『Texas Gang Threat Assessment 2012』(Texas Department of Public Safety,2013年3月)

https://www.dps.texas.gov/sites/default/files/documents/director_staff/media_and_communications/2013/txgangthreatassessment.pdf

*5 『Texas Gang Threat Assessment 2014』,p18-20

*6 『Texas Gang Threat Assessment 2017』, p17

*7 『Texas Gang Threat Assessment 2017』, p3

*8 『Texas Gang Threat Assessment 2017』, p29

*9 『Texas Gang Threat Assessment 2017』, p41

*10 『怒羅権と私 創設期メンバーの怒りと悲しみの半生』(汪楠、2021年、彩図社),p2,

*11 『怒羅権と私 創設期メンバーの怒りと悲しみの半生』,p59-60

*12 『怒羅権 初代 ヤクザが恐れる最凶マフィアをつくった男』(佐々木秀夫(ジャン・ロンシン)、2022年、宝島社),p2-3

*13 『怒羅権と私 創設期メンバーの怒りと悲しみの半生』,p62

*14 『怒羅権 初代 ヤクザが恐れる最凶マフィアをつくった男』,99

*15 『怒羅権 初代 ヤクザが恐れる最凶マフィアをつくった男』,140

*16 『怒羅権と私 創設期メンバーの怒りと悲しみの半生』,p94

*17 『怒羅権と私 創設期メンバーの怒りと悲しみの半生』,p96

*18 『怒羅権 初代 ヤクザが恐れる最凶マフィアをつくった男』,144-148

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