ロシアの極東窃盗団協会

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 極東ロシアでは「極東窃盗団協会」(英語名:the Far Eastern Association of Thieves)が活動していました(*1)。極東窃盗団協会の実態は、組織名と異なり、「貿易協会」もしくは「極東ロシアにおけるアウトローの協会」に近かったです(*1)。エフゲニー・ヴァシン(ラテン文字転写:Yevgeny Vasin)が2001年まで極東窃盗団協会を統率していました(*1)。

 エフゲニー・ヴァシンはコムソモリスク・ナ・アムーレ(ハバロフスク地方)を拠点に活動してきた「ヴォール・ヴ・ザコーネ」(ラテン文字転写:vor v zakone)であり、2001年に死去しました(*1)。ヴォール・ヴ・ザコーネは、英語訳では「thief in law」または「thief within the code」となり、日本語訳では「掟の中の泥棒」となります(*2)。ヴォール(ラテン文字転写:Vor)単体では「泥棒」を意味しました(*2)。ヴォール・ヴ・ザコーネとは、ロシア裏社会における「上位者」といった意味でした(*3)。ヴォール・ヴ・ザコーネは複数形になると「ヴォリー・ヴ・ザコーネ」(ラテン文字転写:vory v zakone)になります。

 極東窃盗団協会は後に「地方ギャングの連合組織」となっていきました(*1)。極東窃盗団協会に加盟のギャングは、活動領域内で相当な自治権を持っていましたが、エフゲニー・ヴァシン及び協会内の評議会の裁定には従わなければなりませんでした(*1)。加盟ギャング間の縄張り争いはありましたが、エフゲニー・ヴァシン及び評議会が抑止となり、縄張り争いは激化しませんでした(*1)。

 他方、中国商人は低価格品、盗難品、偽造品を売る為に、中国-ロシア国境をまたぐシャトル貿易(shuttle-trading)をしていました(*1)。国境付近のアウトロー組織にとって、中国-ロシア間を行き来する中国商人は「搾取対象」となりました(*1)。

 鈴木義一によれば、シャトル貿易とは、旅行者が海外で「免税の範囲内」で物品を購入し、帰国時の税関で「個人消費目的の使用」として申告・通関するものの、国内において実際に物品を消費せず、国内の小売または小規模卸売市場に販売することで利益を上げるビジネスです(*4)。シャトル貿易では、取扱い物品は「合法領域」であった一方、貿易方法が「違法」だったのです(*4)。

  通常の輸入ビジネスでは関税を支払うのに対し、シャトル貿易では関税支払いを回避できる為、利益が増えます。シャトル貿易では、個人として繰り返し行う場合もあれば、ツアー客を用いて大規模にシャトル貿易を行う場合もありました(*4)。またシャトル貿易は日本では「担ぎ屋貿易」と呼ばれていました(*4)。シャトル貿易は「インフォーマル経済」と認識されました(*4)。

 中国-ロシア(旧ソ連)間のシャトル貿易の始まりは、1980年代末からといわれています(*5)。物品は主に「中国」→「ロシア」の方向で流れていきました(*5)。中国商人は、中国から物品をロシアに運び、ロシアで販売しました(*5)。

 中国-ロシア間の貿易は昔から行われていましたが、中国と旧ソ連の対立激化により、1966年から1983年まで両国間の貿易は中断されました(*5)。1983年「黒龍江省綏芬河市」と「沿海地方グロデコボ区」、「内モンゴル自治区満洲里市」と「チタ州ザバイカリスク区」の間で、スイスフラン建ての官製バーター取引(物々交換)の形で、両国間の貿易が復活を果たしました(*5)。以降、両国において取引エリアは拡大していきました(*5)。

 中国商人はシャトル貿易において「灰色通関」という手法をとっていました(*5)。灰色通関では、中国商人は貿易代理会社に物品の「通関・輸送業務」を委託、自身は旅行という名目でロシアに入りました(*5)。ロシアに入国後、その中国商人は委託していた物品を受け取り、ロシアの小売または卸市場で販売したのです(*5)。一方、貿易代理会社は複数商人の物品を一括して、ロシアに輸出しました(*5)。つまり灰色通関においては、物品の発送元は「中国商人」で、発送先も「中国商人」です。また灰色通関では、通関時「商人」と「物品」が分離して移動しています。

 貿易代理会社は通関時、実際価格の1/10ほどの価格で申告していました(*5)。または「重量を低く申告する」「高関税商品を低関税商品として申告する」という方法もとられていました(*4)。虚偽の申告が利益の源泉だったのです。事前に貿易代理会社は税関職員と「非公式の取り決め」をしていました(*4)。

 ロシア人のシャトル貿易の場合、専用業者が物品を「個人の荷物」として中国からロシアに運びました(*5)。ロシアでは「1人につき35kg内の個人物品」の持ち込みは無税でした(*5) 。ただし同じ種類の物品持ち込みは、「輸出」と見なされました(*5)。ゆえに専用業者は、複数の物品を混合させた「35kg内の荷物」を作った上で、通関・輸送しました(*5)。物品はロシアに着いた後、同じ種類ごとに集められた上で、依頼主のもとに運ばれました(*5)。

 シャトル貿易において「物品の流れ」は中国→ロシアでした。一方「金の流れ」は逆方向となる為、ロシア→中国でした。ロシア側の業者にとって、購入資金はロシアの通貨ルーブルになりました。ルーブル高の時、ロシア側の業者はより多くの物品を購入することができました(*6)。

  ちなみに戦後日本でも闇市の時代(1945~1950年頃)に「かつぎ屋」と呼ばれる業者が活動していました(*7) (*8)。かつぎ屋は列車・電車を輸送手段とし、「産地」から「物品不足の都市」に向けて物品を運んでいました(*7)。当時、産地では物品を安く仕入れ、都市では物品を高く売ることができた為、かつぎ屋は利益を上げることができました(*7)。かつぎ屋はいわば「裁定取引(アービトラージ)」で利益を上げていたのです。

 中国-ロシア間のシャトル貿易に話を戻します。中国-ロシア間においては違法薬物、武器、不法移民も取引されていました(*9)。先述したように、シャトル貿易では物品が「合法的」であった一方、方法は「違法的」でした。違法だったかは不明ですが、木材、希少な野生生物等も取引されました(*9)。またロシアの裏社会側は、中国側の違法領域ビジネスの「資金洗浄」を担いました(*9)。

 2018年時点においては中国からロシアには不法移民が、ロシアから中国には魚や木材が密輸されていました(*9)。

 極東ロシアのアウトロー組織にとって、対中国ビジネスは巨大収益源でした(*9)。ウラジオストク(沿海地方)、ブラゴヴェシチェンスク(アムール州)、ハバロフスク(ハバロフスク地方)等、「玄関口」となるような都市のアウトロー組織は対中国ビジネスを巡って争っていました (*9)。ブラゴヴェシチェンスクはアムール州の州都で、国境の街です。ブラゴヴェシチェンスクから国境線のアムール川を渡ると、中国の黒河市(黒龍江省)があります。2001年以前までは、中国側は極東窃盗団協会を通してから、ビジネスをしていました(*9)。

 また極東ロシアでは「国境付近のアウトロー組織」と「内陸部のアウトロー組織」との対立がありました(*9)。対中国ビジネスでは国境付近のアウトロー組織が収益を手にしやすかった一方、内陸部のアウトロー組織は手にしにくかったです(*9)。ゆえに「収益の分配」を巡って両者間で対立が起きやすかったのです(*9)。

 しかし先述のエフゲニー・ヴァシン及び評議会の存在、対中国ビジネスという収益源が「求心力」となる形で、1990年代の極東窃盗団協会は体制を維持することができていました(*9)。

 「バリアグ」(ラテン文字転写:varyag)が極東ロシアに近づいてくることもありました(*9)。バリアグとは、モスクワやヨーロッパロシアのアウトローを指す用語で、他地域の人々によって使われた言葉です (*2)。極東窃盗団協会のエフゲニー・ヴァシンはバリアグを追い出す為に、中国勢の金を利用しました(*9)。

 エフゲニー・ヴァシンが2001年死去した後、極東窃盗団協会は力を弱めていきました(*9)。実はエフゲニー・ヴァシン死去前から、極東窃盗団協会は分裂の危機に陥っていました(*9)。以降、中国側は極東窃盗団協会を通さずに、ビジネスをするようになっていきました(*9)。

 表社会でも2001年は極東ロシアで変動がありました。沿海地方知事のエフゲニー・ナズドラチェンコ(ラテン文字転写:Yevgeny Nazdratenko)が2001年辞任し、以降沿海地方は「モスクワの強い影響下」に置かれていきました(*9) 。エフゲニー・ナズドラチェンコは1993年から沿海地方知事を務めていました(*10) (*1)。表向きエフゲニー・ナズドラチェンコは心臓発作後に辞任したとされていますが、噂では辞任は「クレムリンの命令」だったとされています(*9)。2001年ロシアの大統領は、ウラジーミル・プーチンでした。

<引用・参考文献>

*1 『The Vory: Russia’s Super Mafia』(Mark Galeotti,2018, Yale University Press), p135

*2 『The Vory: Russia’s Super Mafia』, p275

*3 『The Vory: Russia’s Super Mafia』, p46

*4 鈴木義一.(2020). 中ロ国境地域の社会・経済構造と「シャトル貿易」. ロシア・ユーラシアの社会, 7・8月号.p61-62

https://www.jstage.jst.go.jp/article/roseursoc/2020/1051/2020_52/_pdf

*5 平泉秀樹.(2010). 中国黒龍江省の対ロシア貿易の現状と国境地区への影響. ERINA REPORT, 94, July.p12-14

https://www.unii.ac.jp/erina-unp/archive/wp-content/uploads/2010/01/se9420_tssc.pdf

*6  鈴木義一. 中ロ国境地域の社会・経済構造と「シャトル貿易」,p64

*7『東京のヤミ市』(松平誠、2019年、講談社学術文庫),p209

*8『東京のヤミ市』,p188

*9『The Vory: Russia’s Super Mafia』, p136-137

*10『The Vory: Russia’s Super Mafia』, p134

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