明友会と済州島

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 1953年頃大阪市生野区猪飼野(いかいの)付近の不良青年らが、「明友会」を結成しました(*1)。明友会構成員の多くは在日韓国人でした(*1)。明友会は「愚連隊」に分類されたアウトロー組織でした(*2)。姜昌興(甲山五郎)が明友会の領袖(トップ)でした(*2)。

 明友会は1954年頃から、大阪のミナミに進出しました(*1)。明友会は大阪市南区阪町(現在は大阪市中央区)に拠点を築きました(*1)。1955年頃に明友会は「南一家」の傘下に入りました(*1)。

 当時、南一家はミナミで活動していました(*1)。南一家は終戦(1945年)直後に結成され、当時からすれば明友会同様、「新興組織」でした(*1)。

 「上部団体・南一家」と「下部団体・明友会」のつながりが、垂直的関係(支配-被支配関係)だったのか、もしくは緩やかな関係(名目上の上下関係)に過ぎなかったのかは不明です。

 1958~1959年頃に明友会は織田組、松島組、生友会、浪速会などを吸収し「明友会連合会」を結成しました(*1)。明友会連合会の構成員数は600人超といわれました(*1)。

 南一家及び明友会(明友会連合会)は、ミナミの愚連隊「南道会」と対立していました(*1) (*2)。1957年7月明友会は南道会と抗争に至りました(*2)。この抗争で南道会構成員7人が、明友会トップ姜昌興を襲い、重傷を負わせました(*2)。

 1945年8月藤村唯夫が南道会を結成しました(*2)。藤村唯夫は1949年頃、山口組三代目田岡一雄組長と兄弟盃を交わし、「代紋違いの舎弟」になりました(*3)。トップが田岡一雄組長の「代紋違いの舎弟」になったことは、南道会は「山口組下部団体」ではないものの、「山口組と同盟関係を結んだこと」を意味しました。1962年南道会勢力は山口組の傘下に入りました(*3)。傘下に入ると同時に、南道会は解散、勢力は分割されました(*2)。

 1960年8月、明友会連合会は山口組と抗争に至りましたが、敗北しました(*1)。同年同月、明友会連合会は解散しました(*1)。旧明友会連合会勢力の中には、山口組に移籍する者もいました。明友会連合会幹部の小田秀臣や金仁植が山口組に移籍しました(*5)。小田秀臣は地道行雄(当時山口組の若頭)の舎弟になりました(*5)。

 上部団体の南一家はその後も独立団体として活動していきましたが、1990年3月山口組の傘下に入りました(*4)。南一家は「山口組2次団体」になりました(*4)。ちなみに六代目山口組2次団体・極心連合会トップの橋本弘文(現在は引退)は南一家の出身者でした。1963年頃、橋本弘文は南一家の吉田組に入りました(*6)。後に吉田組が解散した為、橋本弘文は「橋本組」を結成しました(*6)。その後1976年橋本弘文は山口組2次団体・山健組に入りました(*6)。

 先述したように明友会は猪飼野で結成されました。猪飼野と呼ばれたエリアは、生野区と東成区にまたがっていました(*7)。1973年大阪市は「猪飼野」という名称を抹消しました(*7)。旧猪飼野のエリアは鶴橋、桃谷、中川、田島などに改称されました(*7)。

 戦前から猪飼野には済州島(韓国の済州特別自治道)出身者が多く住んでいました(*8)。済州島出身者が猪飼野に集まった要因として、金賛汀は済州島-大阪間の定期航路開通(1922年)、猪飼野周辺に零細工場があったこと等を挙げています(*8)。済州島では手紡家内工業があったことから、済州島出身者は土建や炭坑での労働ではなく、工場労働を選好したのではないかと考えられています(*8)。

 1910年日本は大韓帝国(現在の韓国と北朝鮮)を併合しました(*9)。1945年9月まで朝鮮半島、済州島などは「日本の領土」でした(*9)。1907年頃から日本の漁船が済州島の漁場に進出してきました(*8)。また日本の低価格綿布が済州島に流入してきました(*8)。結果、済州島の漁業や手紡家内工業は低落していきました(*8)。済州島での働き先は減っていったのです。済州島の人々は働き先を求めて、日本に向かったのでした。

 絆會トップ織田絆誠の祖父(金燕西)は済州島出身者でした(*9)。金燕西は1906年済州島に生まれ、1924年日本に移住しました(*9)。先述したように、その2年前の1922年に済州島-大阪間の定期航路が開通しました。金燕西は一般人で、大阪の淀川区で軍需工場を営むなどをしていました(*9)。戦後、金燕西は猪飼野に拠点を移しました(*9)。

 太平洋戦争終了(1945年)直後、済州島出身者の多くは、日本から済州島に帰還しました(*10)。船乗り経験者の中には、4、5トン程度の中古漁船を買い、その漁船で帰還者の荷物を輸送した者がいました(*10)。しかしその後、再び、済州島から日本に行く流れが生まれました(*10)。

 1965年日本は韓国と国交正常化に至りました(*11)。1945年9月から1965年の間、日本と韓国の交流は途絶え、往来は制限されました(*12)。ゆえに済州島の人々は主に「密航」で日本に向かいました(*11)。日本行きが続いた背景には、1948年の4・3事件(済州島での虐殺事件)、朝鮮戦争(1950~1953年)による社会の混乱がありました(*11)。

 漁船が「密航者の輸送」を担いました(*10)。漁船(密航船)は往路(済州島→日本)では密航者を運び、復路(日本→済州島)では日本で仕入れた生活雑貨、履物、反物等を運びました(*10)。密航船の持ち主は、生活雑貨、履物、反物等を釜山付近の闇市や済州島で転売し、収益を上げていました (*10)。密航船は「闇船」と呼ばれていました(*10)。

 関東では東京都荒川区の三河島周辺に済州島出身者が多く住んでいました(*13)。1930年頃、済州島出身者は三河島周辺において紡績工場、ゴム工場等で働いていました(*13)。また鞄作りをする者も多かったです(*13)。アサヒ商会(済州島出身者の興した会社)は荒川の屠殺場で皮革を調達し、鞄を作っていました(*13)。

 先述したように明友会の結成は1953年頃でした。1953年は、朝鮮戦争が停戦した年です。当時の猪飼野には済州島から密航してきた人が多くいたことが推測されます。密航者は在留資格を持たない「不法滞在者」となります(*12)。ゆえに密航者は裏社会に引き込まれやすかったと考えられます。そのような状況下で明友会は猪飼野で結成されたのです。

 1965年(日韓国交正常化)以降も、面倒な手続きを嫌ったのか、1980年代まで済州島から日本への密航が続いていきました(*12)。

 表社会では済州島出身者は相互扶助の為、戦前から同郷親睦会を結成していきました(*13)。1922年結成の「西好里青年会大阪支会」は大阪で最初の親睦会とされています(*13)。東京では1927年結成の「在東京高内里少年共昌会」が最初の親睦会でした(*13)。また同郷の婦人間においては「契」(ケー)と呼ばれた頼母子講の組織が作られていきました(*13)。契は時には事業の融資も行っていました(*13)。

 契は済州島内でもあり、日本への渡航費用が足りない者に対し、資金を融通していました(*14)。

 ちなみに済州島の面積は1849.1㎢で、香川県と同程度です(*15)。島の形状は東西73km、南北41kmの楕円形です(*15)。済州島は、朝鮮半島本土から南に約90km離れたところに位置しています(*15)。

<引用・参考文献>

*1 『洋泉社MOOK 「山口組血風録」写真で見る山口組・戦闘史』(有限会社創雄社・実話時代編集部編、1999年、洋泉社), p122-127

*2 『洋泉社MOOK・「愚連隊伝説」彼らは恐竜のように消えた』「露と消えにし明友会」(実話時代編集部、2002年、洋泉社),p148-149

*3 『山口組若頭』(実話時代編集部編、2007年、洋泉社), p144

*4 『洋泉社MOOK・勃発!関東ヤクザ戦争』(有限会社創雄社『実話時代』田中博昭編、2002年、洋泉社), p150

*5 『血と抗争 山口組三代目』(溝口敦、2015年、講談社+α文庫),p112

*6 『日本のヤクザ100人 闇の支配者たちの実像』(別冊宝島編集部編、2016年、宝島社),p68

*7 『エリア・スタディーズ166  済州島を知るための55章』「猪飼野、日本の中の済州  あってもない町、なくてもある町」(呉光現、2018年、明石書店),p252-258

*8 『異邦人は君ヶ代丸に乗って -朝鮮人街猪飼野の形成史-』(金賛汀、2013年、岩波新書),p93-97

*9 『山口組三国志 織田絆誠という男』(溝口敦、2018年、講談社+α文庫),p74

*10 『朝鮮と日本に生きる― 済州島から猪飼野へ』(金時鐘、2020年、岩波新書),p93-94

*11 『エリア・スタディーズ166  済州島を知るための55章』「日本と済州島を結ぶネットワーク 渡日済州島人の4世代」(高鮮徽、2018年、明石書店),p222-228

*12 『エリア・スタディーズ166  済州島を知るための55章』「済州島出身者の生活史 東アジア近現代史の縮図として」(伊地知紀子、2018年、明石書店),p234-238

*13 『エリア・スタディーズ166  済州島を知るための55章』「同郷親睦会の活動 在日済州人コミュニティの特徴と変容」(鄭雅英、2018年、明石書店),p215-221

*14 『越境する民 近代大阪の朝鮮人史』(杉原達、2023年、岩波現代文庫),p100

*15 『エリア・スタディーズ166  済州島を知るための55章』「はじめに」(伊地知紀子・金良淑、2018年、明石書店),p3

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