会津小鉄会にかつて「小頭」という役職がありました(*1)。1992年会津小鉄会は「会津小鉄」に改称しました(*2)。当時の会津小鉄トップは髙山登久太郎四代目会長(在任期間:1986~1997年)でした(*1) (*3)。
髙山登久太郎は在日韓国人で、四代目会長時の1989年京都市下京区木屋町通に会津小鉄会館を建てました(*4)。「会津小鉄」に改称した1992年、会津小鉄の構成員は約1,600人でした(*4)。ちなみに2023年会津小鉄会の構成員は約40人で、活動範囲は京都府と北海道でした(*5)。
また髙山登久太郎は「理事長」「幹事長」という役職をなくし、新たに「若頭」「舎弟頭」「小頭」という役職を導入しました(*1)。若頭、舎弟頭、小頭は関西に昔からある役職でした(*1)。会津小鉄2次団体・荒虎千本組トップの三神忠は1994年時、会津小鉄内では小頭に就いていました(*6)。三神忠は会津小鉄内で重要人物であったことから(*6)、「小頭」が高い役職であったことが推測されます。
1991年4月~12月において、会津小鉄会の小頭は山本浩令でした(*7)。
図越利次五代目会長(在任期間:1997~2008年)体制時(*8)の1998年会津小鉄は「会津小鉄会」に改称、組織名を戻しました(*9)。
<引用・参考文献>
*1 『実話時代』2018年9月号, p49
*2 『洋泉社MOOK・ヤクザ・指定24組織の全貌』(有限会社創雄社・実話時代編集部編、2002年、洋泉社), p77
*3 『実話時代』2016年8月号, p114
*4 『同和のドン 上田藤兵衞「人権」と「暴力」の戦後史』(伊藤博敏、2023年、講談社),p329
*5 警察庁「令和5年における 組織犯罪の情勢」(2024年),p26
*6 『ヤクザの散り際 歴史に名を刻む40人』(山平重樹、2012年、幻冬舎アウトロー文庫), p244-249
*7 『極私的ヤクザ伝 昭和を駆け抜けた親分41人の肖像』(山平重樹、2023年、徳間書店),p285
*8 『実話時代』2015年7月号, p39
*9 『SANWA MOOK ウラ社会読本シリーズ⑧ 現代ヤクザマルチ大解剖 ②』(有限会社創雄社・実話時代編集部編、2005年、三和出版),p182
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