丁半とは、賭博の1つで、サイコロ2個の出目の合計数を予想するものでした(*1)。賭博のことを「丁半」と呼ぶことも多く、太平洋戦争終了(1945年)まで丁半はよく行われていました(*1)。
客(張子)は、合計数が「偶数」になるのか、もしくは「奇数」になるのかを予想しました(*1)。選択肢は1/2で、ルールは単純でした。偶数(合計数)は「丁」、奇数(合計数)は「半」と呼ばれました(*1)。
合計数は36通り(6×6)でした。合計数が偶数になるのは18通り、奇数も18通りでした。勝敗確率は1/2でした。
丁半において胴元は「勝者の張子」から、賭け金の四分もしくは五分(4%もしくは5%)をテラ(寺)銭として徴収しました(*2)。
テラ銭の割合が一割(10%)になる場合もありました(*2) (*3)。「二・五」(合計数:7。半)、「一・六」(合計数:7。半)、「四・三」(合計数:7。半)という出目の組み合わせでは、テラ銭の割合は一割になりました(*2)。3つの組み合わせ全てが半(奇数)でした。
また「ゾロ」という出目が同じだった場合(例えば「一・一」「二・二」等)も、テラ銭の割合は一割になりました(*3)。ゾロは6つの組み合わせがありますが、全て丁(偶数)でした。
1回の勝負において「丁の総賭け金」と「半の総賭け金」が同額になることが求められました(*2)。丁の総賭け金が100万円、半の総賭け金が80万円で、20万円の差があった場合、中盆(賭博の進行係)(*4)は不足側(この場合は半側)の張子に対し、不足分の賭け金を追加するように促しました(*2)。中盆は賭け金の追加を促す際、追加する側が有利になるよう、勝負の設定を臨時的に変更しました(*2)。半(奇数)側に賭け金の追加を促す際、例えば「四・二」(合計数6。丁)の組合せの場合、「勝負なし」とされました(*2)。この場合、半側の勝ちは18通りである一方、丁側の勝ちは17通りとなり、半側が有利になりました。
丁半の参加人数に制限はなく、丁半を途中で抜けることに関しては客(張子)は自分の意思でできました(*3)。
丁半に似た賭博として「大目小目」がありました(*5)。大目小目もサイコロ賭博ですが、サイコロ1個だけで行われました(*5)。一・二・三の出目を「小目」、四・五・六の出目を「大目」と呼びました(*5)。丁半と異なり、大目小目では総賭け金を同額にする必要はありませんでした(*5)。
<引用・参考文献>
*1 『やくざ事典』(井出英雅、1971年、雄山閣出版), p252-253
*2 『生活史叢書4 やくざの生活』(田村栄太郎、1994年、雄山閣),p28-31
*3 『日本賭博史』(紀田順一郎、2025年、ちくま学芸文庫),p73-75
*4 『やくざ事典』,219
*5 『生活史叢書4 やくざの生活』,p32
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