信州斉藤一家

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 「山口組」3次団体の1つとして「信州斉藤一家」があります(*1)。信州斉藤一家の上部団体は「國粹会」(山口組2次団体)です(*1)。

 國粹会は元々、独立団体でしたが、2005年9月山口組に加入しました(*1)。山口組加入当時(2005年9月)の國粹会会長は、工藤和義でした(*1)。工藤和義会長(國粹会四代目会長)は2007年、自死しました(*1)。その後、同年(2007年)内に藤井英治が國粹会五代目を引き継ぎました(*2)。藤井英治は信州斉藤一家の出身でした(*1)。

 独立団体時代の國粹会は「連合型」の組織形態をとっていました(*3)。國粹会の前身は「日本国粋会」で、日本国粋会は1958年7月結成されました(*3)。日本国粋会は博徒組織の集合体であり、國粹会同様に連合型の組織形態をとっていました(*4)。日本国粋会2次団体の「青柳組」(品川区五反田)は「青少年不良団」(愚連隊)に位置付けられていた為、日本国粋会の構成団体の全てが博徒組織ではなかったようです (*4)。

 1991年、先述の工藤和義が日本国粋会の四代目会長に就任し、組織名を國粹会に改めました(*3)。工藤和義は「金町一家」の出身でした(*3)。金町一家は博徒組織で、違法賭博、ノミ屋営業などで収益を上げていました(*5)。金町一家の縄張りは東京の山谷一帯でした(*5)。

 國粹会は縄張りの一部を「住吉会」などの組織に貸し出していました(*6)。一方、縄張りを借りた組織は、國粹会に地代を払いました(*6)。貸した縄張りのことは「貸しジマ」と呼ばれました(*6)。

 2005年頃、「生井一家」(國粹会2次団体)が銀座七、八丁目を「小林会」(住吉会住吉一家の下部団体)に貸し出していました(*7)。また「落合一家」(國粹会2次団体)は渋谷の縄張りを他団体に貸し出していました(*7)。

 藤井英治が2007年に國粹会五代目を引き継いだ時、國粹会は組織形態を従来の連合型から「直参制」に改めました(*2)。直参とは「親分から直接盃をもらった者」のことで、つまり「直接の舎弟分もしくは子分」を意味しました(*8)。

 直参制度下では、基本的に構成員の全員が、組織トップの「舎弟分」もしくは「子分」になったのでした。直参制の組織は「擬制的親族集団」だったのです。

 2007年國粹会は「非擬制的親族集団」から「擬制的親族集団」に変わったのです。國粹会2次団体の各一家(信州斉藤一家、金町一家、生井一家、落合一家など)は、「一家」という組織名が示すように、元々直参制をとっており、擬制的親族集団でした。

 信州斉藤一家は長野県の博徒組織でした(*9)。1984年時、信州斉藤一家には6人の「貸元」がいました(*9)。貸元とは、博徒組織の役職の1つで、組織トップの総長から「縄張りを預かる者」のことでした(*10)。貸元はその縄張りを守り、その縄張り内で賭場を開帳し、その収益の一部を総長に上納しました(*10)。貸元は、縄張りの監督官でした。大規模な博徒組織では、貸元は20人以上いました(*10)。

 例えば博徒組織「上萬一家」は、初代・藤江万吉から二代目・藤江万次郎(万太郎)の体制時、36人の貸元(三十六人衆の貸元)を擁していました(*11)。ちなみに初代の上萬一家は、東西では東京の両国から千葉の船橋まで、南北では東京湾から松戸に至る地域を縄張りとしていました(*12)。逆にいうと上萬一家は東京において隅田川以西に縄張りを持たなかったことが窺い知れます。

 先述の藤井英治(國粹会五代目会長)は、1984年5月28日、信州斉藤一家内で貸元に昇格しました(*9)。1984年時の信州斉藤一家のトップ(総長)は、林純平もしくは藤森英雄でした(*13)。林純平は信州斉藤一家の四代目、藤森英雄は五代目の総長でした(*13)。博徒組織における最高位の名称として、関東では「総長」、東海地区では「総裁」が用いられていました(*14)。

 藤井英治が1984年に貸元に昇格した際、信州斉藤一家の総長(林純平もしくは藤森英雄)は岡谷市、諏訪市、茅野市の縄張りを貸元・藤井英治に預けました(*9)。岡谷市、諏訪市、茅野市は、長野県南信地方の諏訪地域に属しています。1990年藤井英治は信州斉藤一家六代目を継承しました(*1)。

   信州斉藤一家は天野角太郎(本名:天野善十郎)を「初代」として位置づけていました(*13)。天野角太郎は1872年(明治五年)、愛知県で生まれました(*13)。

 元々、天野角太郎は「上諏訪の信州斉藤一家」の「四代目」でした(*13)。その当時、信州斉藤一家は松本の方にもあり、2つの信州斉藤一家が長野県内で活動していたのです(*13) (*15)。

 2つの信州斉藤一家は斉藤幸太郎を「祖」としていました(*13) (*15)。斉藤幸太郎の時代、上諏訪の信州斉藤一家が「本家」、松本の信州斉藤一家が「別家」として位置づけられていました (*15)。松本の信州斉藤一家では、本家総長(上諏訪の総長)ではなく別家総長(松本の総長)が統率しました(*15)。

 天野角太郎は、上諏訪と松本の信州斉藤一家を合併させ、合併後の信州斉藤一家の総長に就きました(*13)。初代(天野角太郎総長)体制時、信州斉藤一家は「大日本国粋会」に加盟していました(*13)。

 大日本国粋会は政治結社で、1919年(大正八年)11月結成されました(*16)。全国のヤクザ組織が、結成時の大日本国粋会に加盟しました(*16)。しかし信州斉藤一家は、結成時(1919年11月)には大日本国粋会に加盟していませんでした(*13)。その後、信州斉藤一家は大日本国粋会に加盟し、天野角太郎は大日本国粋会内で「信越本部長」「長野県会長」を務めました(*13)。

 太平洋戦争終了(1945年)の翌1946年、大日本国粋会は、連合国軍総司令部(GHQ:General Headquarters)の解散指定を受け、解散しました(*17)。先述の日本国粋会(現在の國粹会)は、「大日本国粋会の後継組織」として1958年7月に結成されたのでした(*17)。

 信州斉藤一家の初代総長・天野角太郎は、1944年10月23日死去しました(*13)。その後、瀧田健が信州斉藤一家の二代目を引き継ぎました(*13)。

 1955年頃の信州斉藤一家(二代目総長・瀧田健の体制時)は、500人超の構成員を擁し、長野県一帯、中津川一帯(岐阜県の東濃地域)に縄張りを持っていました(*18)。

 また1961年の時点で信州斉藤一家(二代目総長・瀧田健の体制時)は日本国粋会に加盟していました(*19)。

 二代目総長・瀧田健は1963年10月31日引退、同時に伊藤芳和が三代目を引き継ぎました(*13)。三代目総長・伊藤芳和は1969年10月病気により引退、林純平が四代目を引き継ぎました(*13)。伊藤芳和(三代目)と林純平(四代目)は、五分の兄弟分でした(*20)。四代目総長・林純平が引退した際、藤森英雄が五代目を引き継ぎました。

 五代目の藤森英雄は1931年6月5日、諏訪市で生まれました(*21)。初代(天野角太郎総長)体制時(1944年以前)の信州斉藤一家には小松銀重という貸元がいました(*21)。貸元・小松銀重は飯田市(長野県南信地方)の縄張りを監督していました(*21)。

 藤森英雄は元々、瀧田健(信州斉藤一家二代目総長)の子分でしたが、1952年に小松銀重の一家(貸元の組織)に移籍、小松銀重の子分になりました(*21)。後に藤森英雄は小松銀重の一家の二代目を引き継ぎました(*21)。その後、藤森英雄は先述したように、信州斉藤一家の五代目を引き継ぎました。

 1978年時の情報によれば、信州斉藤一家の貸元・喜多円蔵は「松葉会」(三代目会長・菊地徳勝の体制時)に加盟していました(*22)。

  先述したように信州斉藤一家にとって、上諏訪(諏訪市)は元々、拠点の1つでした。そして信州斉藤一家は1955年頃、中津川一帯に縄張りを持っていました。上諏訪には甲州街道が通っており、中津川には中山道が通っていました。中山道と甲州街道の分岐点が、下諏訪(下諏訪町)でした。

 江戸時代(1603~1868年)や明治時代(1868~1912年)、東海道の博徒組織における貸元の業務として「旅人の受け入れ」(寝床、食事等の提供)がありました(*23)。この場合の旅人は、旅に出ている他の博徒組織の構成員を指しました(*23)。通常、博徒組織構成員は旅中、旅籠には泊まりませんでした(*23)。博徒組織構成員は旅中、歩行で移動しました(*23)。

 旅人の受け入れ業務は、1カ月交代や1年交代の当番制が敷かれていました(*23)。旅人の受け入れ業務の当番者は、「継立(つぎたて)貸元」と呼ばれました(*23)。

 継立貸元は旅人を「別の継立貸元」(同じ組織の場合もあれば、違う組織の場合もあった)に紹介しました(*23)。この紹介は「順達(じゅんだつ)」と呼ばれました(*23)。この旅人紹介(順達)により、旅人は次の宿泊先を確保することができたのです(*23)。

 継立貸元の資格者が8~9人以上擁する一家は、毎月3~4件ぐらいの紹介を引き受けました(*24)。

 この旅人紹介制度は伊勢まで敷かれていました(*23)。井出英雅は、伊勢参りの風習が博徒組織業界に影響を及ぼしていたのではないかと考えていました(*23)。

 江戸の博徒組織の構成員が旅をした際、東海道を往路、伊勢を折り返し地点、中山道を復路とするのが一般的でした(*23)。「江戸→(東海道)→伊勢→(中山道に至る道+中山道)→江戸」の経路を歩行でひとまわりするのに概ね40日かかりました(*23)。

 江戸と伊勢の間における東海道と中山道の2つの経路で、旅人紹介(順達)制度が機能していたことが分かります。またその2つの経路において、博徒組織間のネットワークが形成されていたと考えられます。

 また昔は上州(群馬県)、甲州(山梨県)、総州(千葉県、茨城県の一部など)などにおける博徒組織の若い構成員は、ひとまわり旅をして初めて、一人前と見なされていました(*25)。旅とは、修行だったのです(*25)。また江戸の博徒組織も若い構成員にひとまわり旅をさせていました(*25)。

 江戸時代において東海道よりも中山道が好まれていました(*26)。当時の東海道には、大井川など「架橋されていない大河川」が多くあり、旅人はしばしば川留めに遭っていました(*26)。江戸幕府は軍事上の理由から、主要街道を横切る大河川に架橋していなかったのです(*26)。一方、中山道には街道を横切る大河川が少なく、川留めに遭うことが少なかったのです(*26)。

 上州には中山道が、甲州には甲州街道、総州の古河には日光街道(奥州街道)が通っていました。江戸は、上記の五街道(東海道、中山道、甲州街道、日光街道、奥州街道)の起点でした。

 上記の博徒組織は、これらの街道近くで活動していたことから、若い構成員を旅に行かせられた側面もあったと考えられます。

 上州に拠点を置く博徒組織にとっての「ひとまわり旅」の経路は、「上州→(中山道)→江戸→(東海道)→伊勢→(中山道に至る道+中山道)→上州」のことだったと考えられます。

 甲州に拠点を置く博徒組織にとって「ひとまわり旅」の経路は、「甲州→(甲州街道)→江戸→(東海道)→伊勢→(中山道に至る道+中山道)→下諏訪→(甲州街道)→甲州」のことだったと考えられます。中山道と甲州街道の分岐点は、信州(長野県)の下諏訪でした。もしかしたら甲州街道でも旅人紹介(順達)制度が機能していたのではないかと考えられます。

 信州斉藤一家の拠点の1つだった上諏訪は、甲州街道上にあり、また中山道と甲州街道の分岐点の下諏訪にも近いです。以上から信州斉藤一家は昔から、他の地域の博徒組織と交流を持ちやすかったと考えられます。

<引用・参考文献>

*1 『六代目山口組10年史』(2015年、メディアックス), p25

*2 『実話時代』2015年10月号,p21

*3 『洋泉社MOOK・ヤクザ・指定24組織の全貌』(有限会社創雄社・実話時代編集部編、2002年、洋泉社), p160-165

*4 『公安百年史 - 暴力追放の足跡』(藤田五郎編著、1978年、公安問題研究協会),p708,717-719

*5 『ヤクザと過激派が棲む街』(牧村康正、2020年、講談社),p12

*6 『戦後ヤクザ抗争史』(永田哲朗、2011年、文庫ぎんが堂),p302

*7 『六代目山口組ドキュメント2005~2007』(溝口敦、2013年、講談社+α文庫),p46-47,107-108

*8 『現代ヤクザ大事典』(実話時代編集部編、2007年、洋泉社),p37

*9 『親分衆(関東編)』(藤田五郎、1989年、富士出版), p267-268

*10『親分 実録日本俠客伝①』(猪野健治、2000年、双葉文庫),p193-194

*11『親分衆(関東編)』,p102-105

*12 『仁義の祭り – 実録戦後やくざ史』「横浜極道者」(藤田五郎、1988年、青樹社), p117-118

*13 『親分衆(関東編)』, p255-258

*14 『実録 東海の親分衆』(藤田五郎、1979年、青樹社), p270

*15 『任俠百年史物語Ⅰ 関東稲妻親分衆』(藤田五郎、1980年、笠倉出版社),p133

*16 『やくざと日本人』(猪野健治、1999年、ちくま文庫), p259-264

*17『ヤクザ伝 裏社会の男たち』(山平重樹、2000年、幻冬舎アウトロー文庫), p124-125

*18 『実録 乱世喧嘩状』(藤田五郎、1976年、青樹社),p29-30

*19 『実録 乱世喧嘩状』,p46,52,56

*20 『実録 乱世喧嘩状』,p82

*21 『親分衆(関東編)』, p259-260

*22 『公安百年史 - 暴力追放の足跡』,p712

*23 『やくざ事典』(井出英雅、1971年、雄山閣出版),p94,98-100,102-103

*24 『関東の親分衆 付・やくざ者の仁義 :沼田寅松・土屋幸三 国士俠客列伝より』(藤田五郎編集、1972年、徳間書店),p254

*25 『関東の親分衆 付・やくざ者の仁義 :沼田寅松・土屋幸三 国士俠客列伝より』,p250

*26 『15の街道からよむ日本史』(安藤優一郎、2023年、日経ビジネス人文庫),p84-87

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