江戸時代の河川水運において船乗り(資料では「船乗」)は「船頭」「水主(かこ)」の2つに大別されました(*1)。
船頭はさらに「直乗(じきのり)船頭」「雇船頭」の2つに分けられました(*1)。直乗とは、自己所有の船に乗る船乗りのことでした(*1)。雇船頭とは、大船持に雇われる船頭のことでした(*1)。
水主は、非船頭の船乗りで、多くは被雇用者として働いていました(*1)。また河岸(河港)では「小揚(こあげ)人足」「日雇人足」が陸揚げ及び船積みの領域を担っていました(*1)。陸揚げされた貨物を馬に載せて運んだのは「馬持」「馬士(まご)」でした(*1)。以上の職種の人達は人別帳に登録されていました(*1)。一方、人別帳に未登録の人達(「帳はずれ」「無宿」)も当時、河岸にはいました(*1)。
河川水運における貨物輸送業者は「河岸問屋」と呼ばれました(*2)。
西日本の瀬戸内諸藩では帆船操縦者もしくはその下級船員は「加子」と呼ばれました(*3)。瀬戸内諸藩は帆船と加子を強制的に取り立ていました(*3)。
<引用・参考文献>
*1 『<上毛文庫> 群馬の水運史』「五章 一節 河岸に生きる」(川名登、1987年、上毛新聞社),p162-164
*2 『<上毛文庫> 群馬の水運史』「三章 河岸のなりたちと発展」(川名登、1987年、上毛新聞社),p26
*3 『内海産業と水運の史的研究』「近世初期における加子役の成立と市場構造-備後国尾道を中心として-」(畑中誠治・隼田嘉彦、1966年、吉川弘文館),p331-332
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