トレオンは交通の要衝

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 1920年代メキシコのアントニオ・ウォン・イン(Antonio Wong Yin)のグループは、メキシコシティもしくはタンピコ(タマウリパス州)における違法薬物の卸売業者から、吸煙用アヘン(次第にヘロインも)を仕入れていました(*1)。タンピコは港湾都市でした(*1)。アントニオ・ウォン・インは1895年に中国の広東で生まれた中国人で、青年期に兄弟とともにメキシコに移住しました(*2)。

 吸煙用アヘンの別名は「アヘン煙膏(えんこう)」でした(*3)。生(しょう)アヘンに水を加え、加熱、溶解、ろ過した後に、煮詰めて冷却したものがアヘン煙膏でした(*3)。

 当時の中国本土は人口増加に直面し、その人口増加は食料供給を上回るものでした(*4)。結果、中国から海外への移住者が増えていきました(*4)。

 アメリカ合衆国では「中国人排斥法」(1882年)があり、中国人はアメリカ合衆国から追い出されました(*4)。一方、アメリカ合衆国の南隣に位置するメキシコは1899年、中国(清朝)と「両国間の自由移動」を認める条約を締結しました(*4)。多くの中国人がメキシコに向かい、結果メキシコ国内での中国人コミュニティは拡大してきました(*4)。1926年までにメキシコの中国人移民数は24,218人に達しました(*4)。当時のメキシコにおいて最大の移民コミュニティはスペイン人で、中国人コミュニティは2番目の規模でした(*4)。また当時メキシコに住む中国人の大部分は男性でした(*4)。

 1912年ハーグ会議にて「ハーグ国際アヘン条約」が調印されました(*5)。ハーグ国際アヘン条約ではアヘン煙膏(吸煙用アヘン)の輸出入が禁止もしくは制限されたのみで、生アヘンの生産及び輸出入は禁止されませんでした(*5)。

 メキシコはハーグ国際アヘン条約にラテンアメリカ諸国の中で二番目に調印しました(*6)。1916年メキシコ政府は吸煙用アヘンの輸入を禁止しました(*6)。

 ちなみに隣国のアメリカ合衆国は1914年「ハリソン麻薬法」を制定し、アヘン・ヘロイン・コカインの販売及び所持を制限しました(*7) (*8)。日本では1908年(明治四十一年)「あへん煙に関する罪」が刑法第二編第十四章に入れられました(*9)。

 アントニオ・ウォン・インのグループの話に戻します。先述したように1920年代にアントニオ・ウォン・インのグループは、メキシコシティもしくはタンピコにおける違法薬物の卸売業者から、吸煙用アヘン(次第にヘロインも)を仕入れていました。その卸売業者は、吸煙用アヘン等を荷物の中に隠し、鉄道でトレオン(コアウイラ州の南西部)に輸送しました(*1)。捕まった場合に備えて、その荷物は偽の住所から偽の名前で送られていました(*1)。1925年4月メキシコシティからトレオンに鉄道で送られた荷物には8kgの吸煙用アヘン(6万ペソ超の価値)が入っていました(*1)。

 そしてアントニオ・ウォン・インの妻もしくはその仲間らが、トレオンの郵便局に行き、偽の身分証明書を用いて、その荷物を受取りました(*1)。

 吸煙用アヘン等の一部は地元の消費者に回りましたが、多くは隠れ家(おそらくトレオン付近)に運ばれました(*1)。

 アントニオ・ウォン・インのグループは、隠れ家で吸煙用アヘン等を仕分けし、個別に小分けしていきました(*1)。小分けされた吸煙用アヘン等は、メキシコ=アメリカ合衆国の国境まで、郵便で送られました(*1)。そしてアントニオ・ウォン・インのグループは国境において吸煙用アヘン等を2倍の価格で販売しました(*1)。

 アントニオ・ウォン・インのグループにおいて違法薬物ビジネスの活動拠点は、トレオンでした(*1)。トレオンは、先述のメキシコシティ及びタンピコとは鉄道線路でつながっていました(*1)。またメキシコ=アメリカ合衆国の国境のシウダー・フアレス(チワワ州)やドゥランゴ州の山岳都市とも、トレオンは鉄道線路でつながっていました(*1)。トレオンは鉄道線路の結節点でした。

 当時メキシコ内陸部の道路は泥だらけで、くぼみがあり、雨季は通ることができませんでした(*10)。また馬での移動は何週間もかかり、盗賊や泥棒の被害に遭いやすかったです(*1) (*10)。当時鉄道輸送が最も安全だったのです(*1)。鉄道線路の結節点だったトレオンは「交通の要衝」でもあったのです。

 先述したようにアントニオ・ウォン・インとその兄弟は青年期にメキシコに渡り、サン・ペドロ・デ・ラス・コロニアス(コアウイラ州の南西部)に住み着きました(*2)。サン・ペドロ・デ・ラス・コロニアスは、その地域の綿花と農業ビジネスの中心地でした(*2)。

 アントニオ・ウォン・インとその兄弟は1920年代、地元の中国人農家から農作物を買い、それを先述のトレオンの中心部で販売しました(*2)。トレオンは、サン・ペドロ・デ・ラス・コロニアスの西に位置していました(*2)。

 その後、アントニオ・ウォン・インとその兄弟は農作物の販売事業を続ける一方で、酒場やレストラン、雑貨店を買い占めていきました(*2)。アントニオ・ウォン・インは「カジノ・ユニオン」(Casino Unión)の主要株主にもなりました(*2)。カジノ・ユニオンは、中国人労働者の為のクラブでした(*2)。アントニオ・ウォン・インは表の世界では実業家だったのです。

 アントニオ・ウォン・インは経済的に成功し、サン・ペドロ・デ・ラス・コロニアスの地主の娘と結婚しました(*2)。

 トレオンでは1911年5月上旬、当時の革命軍が進攻し、中国人系の事業を破壊し、中国人系300人以上を虐殺しました(*6)。背景には当時のメキシコにおいて、中国人に対する強い差別感情がありました(*6)。

 メキシコ革命は1910年から始まり、1940年まで続きました(*11)。当時(1910年)ポルフィリオ・ディアスが長期独裁政権を敷いており、ディアス政権を打倒する運動が1910年に起きたことで、革命は開始しました(*11)。翌1911年5月15日、ディアス政権は終わり、ポルフィリオ・ディアスはフランスに亡命しました(*11)。

<引用・参考文献>

*1 『The Dope: The Real History of the Mexican Drug Trade』(Benjamin T. Smith,2022,Ebury Press), p39

*2 『The Dope: The Real History of the Mexican Drug Trade』, p37

*3 『日中アヘン戦争』(江口圭一、1988年、岩波新書),p16

*4 『The Dope: The Real History of the Mexican Drug Trade』, p31

*5 『日中アヘン戦争』,p23

*6 『The Dope: The Real History of the Mexican Drug Trade』, p34

*7 『DOPESICK アメリカを蝕むオピオイド危機』(ベス・メイシー著、神保哲生訳、2020年、光文社),p42

*8 『メキシコ麻薬戦争 アメリカ大陸を引き裂く「犯罪者」たちの叛乱』(ヨアン・グリロ著、山本昭代訳、2014年、現代企画室),p48

*9 『<麻薬>のすべて』(船山信次、2011年、講談社現代新書),p95

*10 『The Dope: The Real History of the Mexican Drug Trade』, p38

*11 『物語 メキシコの歴史』(大垣貴志郎、2017年、中公新書),p208-211

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