シナロア・カルテルは、4グループの合従連衡によって、動いている

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 アメリカ合衆国麻薬取締局(Drug Enforcement Administration:DEA)は「2024全米麻薬脅威評価(National Drug Threat Assessment 2024)」という報告書において「シナロア・カルテル」(Sinaloa Cartel)を、世界有数の暴力的組織で、違法薬物ビジネスにおいても世界有数の密造・密売組織(違法薬物を大量に密造し、多様な違法薬物を密売する組織)として位置づけています(*1)。シナロア・カルテルは、メキシコ麻薬カルテルの1つです(*1)。

 シナロア・カルテルは1990年頃、シナロア州とソノラ州南部の小規模麻薬組織が集う形で、結成されました(*2)。ホアキン・“エル・チャポ”・グスマン・ロエラ(Joaquin “El Chapo”Guzmán Loera)が結成を主導しました(*2)。シナロア・カルテルは別名「パシフィック・カルテル」(Pacific Cartel)とも呼ばれました(*2)。パシフィック・カルテルは、日本語訳では「太平洋カルテル」になります。シナロア州は太平洋沿岸にあります。

 シナロア・カルテル結成の背景には、ティファナ・カルテル(Tijuana Cartel)に支払う通行手数料が高かったことがありました(*2)。

 ティファナ・カルテル(Tijuana Cartel)は、ティファナ(バハ・カリフォルニア州)からメヒカリ(バハ・カリフォルニア州)に至る国境(アメリカ合衆国-メキシコ)エリアを縄張りとしていました(*2)。バハ・カリフォルニア州も太平洋沿岸にあります。

 シナロア州とソノラ州南部の小規模麻薬組織は、ティファナ・カルテルの縄張りを経由し、違法薬物をカリフォルニア州(アメリカ合衆国)に密輸していました(*2)。その際、ティファナ・カルテルは通行手数料を徴収していました(*2)。

 メキシコ麻薬カルテル業界では通行手数料は「デレッチョ・デ・ピソ」(derecho de piso)と呼ばれました(*3)。国境沿いに縄張りを持つ組織も、自身の違法薬物を密輸する際、警察組織や軍隊に通行手数料を支払っていました(*3)。ゆえに国境沿いに縄張りを持つ組織は、縄張りを通過する他団体に「経済的な協力」を求め、通行手数料を徴収していたのでした(*3)。当然、通行手数料(通過側が国境沿いに縄張りを持つ組織に払う金)の価格決定権は、国境沿いに縄張りを持つ組織にありました。ゆえに通過側の立場は弱かったのです。

 通過側のシナロア州とソノラ州南部の小規模麻薬組織にとっては、「ティファナ・カルテルの通行手数料」が重荷になっていたのでした。

 結成を主導したホアキン・グスマンは1980年代後半、ティファナ・カルテルの縄張りを迂回する経路を開拓していました(*2)。この迂回経路は、ソノラ州から直接アリゾナ州(アメリカ合衆国)に密輸するものでした(*2)。具体的にはホアキン・グスマンは「アグアプリエタ(ソノラ州)の一軒家」から「ダグラス(アリゾナ州)の倉庫」まで地下トンネルを作らせました(*2)。そのトンネルは密輸経路となりました(*2)。これらの迂回経路が「求心力」となり、シナロア・カルテルは結成されました(*2)。

 結成時のシナロア・カルテルは「連合体」で(*2)、その後も連合体の形態を維持していきました(*4)。参加団体(2次団体以下)は、高い自律性を有していました(*4)。

 シナロア・カルテルの主導の下、2001年10月親睦団体「連合」(Federación)が発足しました (*5)。メキシコ国内の多くの麻薬組織が「連合」に加盟しました(*5)。ガルフ・カルテル(Gulf Cartel)とティファナ・カルテルの2団体は「連合」には加盟しませんでした(*5)。ガルフ・カルテルは、ティファナ・カルテル同様、国境沿いに縄張りを持つ組織でした(*5)。

 「連合」は「密輸経路の自由化」を目標としました(*5)。過去のメキシコ麻薬カルテル業界では、組織ごとに密輸経路がほぼ固定化されており、結果的に捜査機関に目をつけられやすく、また密輸経路の管轄組織に払う通行手数料も高くなりがちでした(*5)。密輸経路が自由化されれば、捜査機関からの監視が妨げられ、また通行手数料は安くなると「連合」は主張しました(*5)。

 シナロア・カルテルにとって「連合」発足の真の狙いとしては、通行手数料の値下げ、国境沿いに縄張りを持つ組織の弱体化だったことが考えられます。

 ともかく「連合」発足を主導したことから、2000年代前半においてシナロア・カルテルが、メキシコ麻薬カルテル業界において盟主的な立場であったことが窺えます。

 またシナロア・カルテルは2000年代以降、バハ・カリフォルニア州において版図を拡げていきました(*6)。2008年シナロア・カルテルはシウダー・フアレス(チワワ州)に侵攻、フアレス・カルテル(Juárez Cartel)と抗争をしていきました(*7)。シナロア・カルテルはメキシコ国内での版図拡大を図っていきました。

 2016年1月8日リーダー格のホアキン・グスマンはシナロア州ロスモチスで逮捕、収監されました(*8)。2017年1月ホアキン・グスマンはアメリカ合衆国ニューヨーク州に移送され、そこで裁判を受けることになりました(*9)。2019年2月陪審員はホアキン・グスマンに有罪判決を言い渡しました(*9)。また同年(2019年)7月、ホアキン・グスマンの刑罰が確定しました(*9)。刑罰は、終身刑+懲役30年、126億ドルの没収という内容でした(*9)。その後ホアキン・グスマンは、アメリカ合衆国のADXフローレンス刑務所(コロラド州の連邦刑務所)で服役生活を送ることになりました(*10)。

 ホアキン・グスマンは過去に何度か逮捕されていました。

 ホアキン・グスマンは1993年6月8日に隣国グアテマラで逮捕、メキシコに移送された後、メヒコ州アルモロヤ・デ・フアレスの刑務所に収監されました(*11)。1995年11月22日ホアキン・グスマンは、ハリスコ州サポトラネホの刑務所に移送されました (*11)。ホアキン・グスマンは、この刑務所の中から指示をし、シナロア・カルテルを動かしていました(*11)。2001年1月19日ホアキン・グスマンはサポトラネホの刑務所を脱獄しました(*11)。1993年6月~2001年1月までホアキン・グスマンは社会不在をしていたのでした。

 2014年2月22日シナロア州マサトランでホアキン・グスマンは再逮捕されました(*12)。その後ホアキン・グスマンはメヒコ州アルモロヤ・デ・フアレスの刑務所に収監され、有罪判決を受けました(*12)。しかし2015年7月11日ホアキン・グスマンは、アルモロヤ・デ・フアレスの刑務所を脱獄しました(*12) (*8)。アルモロヤ・デ・フアレスの刑務所は「アルティプラーノ(Altiplano)刑務所」とも呼ばれていました(*12)。

 ホアキン・グスマンは2回も脱獄していたのです。またホアキン・グスマンは2014年2月~2015年7月の間も社会不在をしていたのです。

 その後、先述したように、ホアキン・グスマンは2016年1月8日に再び逮捕されました。

 2024年時点においてシナロア・カルテルは、少なくとも47カ国で活動しています(*13)。メキシコ、アメリカ合衆国以外の地域にもシナロア・カルテルは活動領域を持っているのです。

 シナロア・カルテルにとって中国は重要な地域です。シナロア・カルテルは中国から違法薬物の原料(前駆物質)を仕入れています(*13)。フェンタニル(Fentanyl)の前駆物質の主な仕入先は中国です(*14)。一方でシナロア・カルテルは中国にメタンフェタミン(Methamphetamine)を供給しています(*13)。

 またシナロア・カルテルはタイ、オーストラリア、ニュージーランドにもメタンフェタミンを供給しています(*13)。アジア、オーストラリア、ニュージーランドの違法薬物市場においてメタンフェタミンの密売による利益は、アメリカ合衆国の違法薬物市場に比し、100倍以上になるといわれています(*14)。

 昔のシナロア・カルテルにおいて、メタンフェタミンの供給先は、主にアメリカ合衆国の西部でした(*14)。しかしシナロア・カルテルが、高純度で効能のあるメタンフェタミンを密造するようになり、また量産体制を確立したことにより、アメリカ合衆国東部の市場にもシナロア・カルテルのメタンフェタミンが流通するようになりました(*14)。そして現在は、先述したように、シナロア・カルテルのメタンフェタミンは、太平洋を越えてアジアやオーストラリア、ニュージーランドに密輸されています。

 中南米にはシナロア・カルテルの構成員が常駐し、コカインの輸送、前駆物質の調達等の業務を担っています(*13)。またシナロア・カルテルはアフリカにも進出しています(*13)。元々メキシコの麻薬カルテルは、コカインをヨーロッパに密輸する際、アフリカでコカインを積み替えていました(*13)。その後、そのコカインは、ヨーロッパに向かいました(*13)。

 現在のシナロア・カルテルにはトップはおらず、4つのグループがあります(*1)。

 「チャピトス派」(Los Chapitos)、「イスマエル・ザンバダ・ガルシア派」、「アウレリアーノ・グスマン・ロエラ派」、「ラファエル・キャロ・キンテーロ派」が4グループになります(*1)。

 「チャピトス派」は、ホアキン・グスマンの息子達(4人)が率いるグループです(*15)。チャピトス派はフェンタニルの密売で大きな収益を上げています(*14)。チャピトス派が最初に、クリアカン(シナロア州)近くの山岳地帯で、フェンタニルの密造工場を設けました(*14)。

 「イスマエル・ザンバダ・ガルシア派」は、イスマエル・“エル・マヨ”・ザンバダ・ガルシア(Ismael“El Mayo”Zambada-Garcia)の率いるグループです(*1)。イスマエル・ザンバダ・ガルシアは、シナロア・カルテルの最高幹部を長年務めてきました(*1)。現在イスマエル・ザンバダ・ガルシアは体調不良であると伝えられています(*15)。イスマエル・ザンバダ・ガルシアが自身のグループを統治できているかに対して、疑問符がついています(*15)。

 「アウレリアーノ・グスマン・ロエラ派」は、アウレリアーノ・“エル・グアノ”・グスマン・ロエラ(Aureliano“El Guano”Guzman-Loera)の率いるグループです(*1)。アウレリアーノ・グスマン・ロエラは、ホアキン・グスマンの兄弟です(*1)。

 「ラファエル・キャロ・キンテーロ派」は、ラファエル・キャロ・キンテーロ(Rafael Caro-Quintero)の率いていたグループです(*1)。ラファエル・キャロ・キンテーロは元々「グアダラハラ・カルテル」(Guadalajara Cartel)の創設メンバーの1人でした(*15)。グアダラハラ・カルテルは1980~1981年頃ハリスコ州グアダラハラで結成された麻薬組織で、1989年に解散しました(*16)。

 ラファエル・キャロ・キンテーロは、アメリカ合衆国麻薬取締局の捜査員を1985年誘拐、拷問、殺害の指示をした1人として、逮捕されました(*15)。ラファエル・キャロ・キンテーロは懲役40年の有罪判決を受けました(*15)。手続き上の理由により、2013年8月ラファエル・キャロ・キンテーロは釈放されました(*15)。釈放後、メキシコ政府はすぐに再逮捕に向けて動きましたが、ラファエル・キャロ・キンテーロは逃亡しました(*15)。結局ラファエル・キャロ・キンテーロは2022年7月再逮捕されました(*15)。

 先述のチャピトス派とラファエル・キャロ・キンテーロ派は、ソノラ砂漠地帯の支配を巡り、争ってきました(*15)。ソノラ砂漠地帯は、ソノラ州(メキシコ)からアリゾナ州(アメリカ合衆国)に至る密輸経路でした(*15)。

 ラファエル・キャロ・キンテーロ派は別名「カボルカ・カルテル」(Caborca Cartel)とも呼ばれています(*15)。ラファエル・キャロ・キンテーロ派(カボルカ・カルテル)は、ソノラ砂漠地帯にあるカボルカ市(ソノラ州)を拠点にしているようです(*15)。

 建前上、4グループ間では「密輸経路」「汚職情報」「化学薬品供給業者とのパイプ」「資金洗浄ネットワーク」などが共有されうると考えられています(*1)。しかし実際は、先述したチャピトス派とラファエル・キャロ・キンテーロ派の争いのように、内部間対立があります(*1)。

 シナロア・カルテル内に4グループ間の利害を調整する機関や会議があるのかは不明です。

 指導者層の世代で区別するとイスマエル・ザンバダ・ガルシア派、アウレリアーノ・グスマン・ロエラ派、ラファエル・キャロ・キンテーロ派の3グループは「旧世代」で、チャピトス派が「新世代」と位置づけられます。シナロア・カルテル内には「世代間対立」もあるのかもしれません。

 現在のシナロア・カルテルは、4グループの合従連衡によって、動いていると考えられます。

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<引用・参考文献>

*1 「2024全米麻薬脅威評価(National Drug Threat Assessment 2024)」(アメリカ合衆国麻薬取締局、2024年),p4

https://www.dea.gov/sites/default/files/2024-05/NDTA_2024.pdf

*2 『Mexican Cartels: An Encyclopedia of Mexico’s Crime and Drug Wars』(David F. Marley,2019,Abc-Clio Inc), p155-156

*3 『Mexican Cartels: An Encyclopedia of Mexico’s Crime and Drug Wars』, p91-92

*4 『Blood Gun Money: How America Arms Gangs and Cartels』(Ioan Grillo,2021,Bloomsbury Publishing  Plc), p240

*5 『Mexican Cartels: An Encyclopedia of Mexico’s Crime and Drug Wars』, p161

*6 『Mexican Cartels: An Encyclopedia of Mexico’s Crime and Drug Wars』,p258-259

*7『Mexican Cartels: An Encyclopedia of Mexico’s Crime and Drug Wars』, p196-198

*8『Mexican Cartels: An Encyclopedia of Mexico’s Crime and Drug Wars』, p167-168

*9『Mexican Cartels: An Encyclopedia of Mexico’s Crime and Drug Wars』, p169

*10 InSight Crimeサイト「Joaquín Guzmán Loera, alias ‘El Chapo’」(InSight Crime,2019年3月29日)

https://insightcrime.org/mexico-organized-crime-news/joaquin-guzman-loera-el-chapo

*11『Mexican Cartels: An Encyclopedia of Mexico’s Crime and Drug Wars』, p158-160

*12『Mexican Cartels: An Encyclopedia of Mexico’s Crime and Drug Wars』, p166

*13 「2024全米麻薬脅威評価(National Drug Threat Assessment 2024)」,p11

*14 「2024全米麻薬脅威評価(National Drug Threat Assessment 2024)」,p6

*15 「2024全米麻薬脅威評価(National Drug Threat Assessment 2024)」,p5

*16『Mexican Cartels: An Encyclopedia of Mexico’s Crime and Drug Wars』, p138-139

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